大女優・沢村貞子さんは若い頃から3度の結婚をしていますが、子供ができたことがありませんでした。
なぜ子供ができなかったのか、その原因や理由について見ていきましょう。
沢村貞子の子供がいない理由
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まず最初に沢村貞子さんには子供はいません。
沢村貞子さんの結婚した年齢と時系列はこちら↓
- 最初の結婚は1931年で23歳:俳優の中村栄二(なかむらえいじ)(本名:今村重雄)と結婚
- 2度目の結婚は1936年で28歳:俳優の藤原釜足(ふじわらかまたり)さんと結婚
- 3度目の結婚は1968年で60歳:京都新聞記者の大橋恭彦(おおはしやすひこ)さんと結婚
さすがに3度目の結婚当時の年齢は60歳でしたのでそこから子供を妊娠し出産することは難しいですが、23歳と若くして結婚しているのになぜ子供ができなかったのでしょうかと疑問に思う人も多いと思います。
調べてみると子供がいない理由は2つあることがわかりました。
2度の逮捕歴
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これは最初の夫の中村栄二(なかむらえいじ)(本名:今村重雄)さんとの離婚理由とも関係することなのですが、1932年2月に移動演芸団・メザマシ隊に夫と共に、左翼演劇を中心に活動していたことで、治安維持法違反によって、夫もろとも逮捕されました。
取り調べなども終わりましたが、警察に突きつけられた保釈条件は『夫の今村との離婚』でした。
そして1933年に離婚をします。
その後は地下活動をしすぐに逮捕され、懲役3年、執行猶予5年の判決で保釈されます。
警察に捕まったことで離婚したのが最初の旦那との子供ができなかった理由でした。
大女優ゆえにできないこと
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沢村貞子さんが若くして結婚していた当時は戦前です。
子供を出産すれば女性は家庭にはいり、その間に自分の仕事のポジションを奪われることなんて普通でしたし、復帰することも難しい時代でした。
そのようなこともあり、2度目の結婚生活は10年は続きましたが、すでに大女優として映画やドラマに多数出演していたので、私生活を犠牲にしなくてはいけなかったのかもしれないと言われています。
大橋恭彦の前の家族への配慮
沢村貞子さんは大橋恭彦さんと駆け落ちで事実婚生活をしています。
その時はまだ2人は結婚していない状況です。
そんな時、子供を妊娠したことはあったそうですが、夫の前妻や小さい子供から父親を取り上げたことを思い、子供は諦めたそうです。
沢村貞子の3人の夫の馴れ初めと離婚理由!
沢村貞子さんは2度の離婚と3度の結婚を繰り返しています。
結婚と離婚の時系列はこちら↓
- 1931年:俳優の今村重雄さんと結婚
- 1932年2月:左翼活動で逮捕され、10ヶ月の独房生活の後に保釈条件が『今村との離婚』
- 1936年:俳優の藤原釜足さんと結婚
- 1946年:大橋恭彦と恋愛関係になり離婚
- 1968年:京都新聞記者の大橋恭彦さんと結婚
- 1994年:大橋恭彦さんが心不全で亡くなるまで共に過ごした
大まかに言うとこのような流れになります。
そんな恋多き女が愛した3人の夫との馴れ初めやそれぞれの離婚理由についてです。
俳優・中村栄二(なかむらえいじ)(本名:今村重雄)
最初の夫の中村栄二こと今村重雄さんの馴れ初めは同じ、左翼劇場で出会い、その書記長をしていた今村重雄さんと交際に発展し結婚。
離婚理由については先ほど記した通り、逮捕後の保釈条件が『今村との離婚』だったため1年の結婚生活で離婚します。
俳優・藤原釜足
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2度目の結婚相手となる藤原釜足さんとの馴れ初めは映画出演での共演だと言われています。
そして気になる離婚理由は3度目の結婚相手となる大橋恭彦さんと不倫したいたことが原因と言われています。
ちなみに藤原釜足さんも沢村貞子と同じく再婚で、過去に病気で妻を亡くし、息子がいたそうです。
また残念ながらその妻や息子さんについての情報はほとんどありませんでした。
新聞記者・大橋恭彦
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3度目の結婚相手の大橋恭彦さんとは沢村貞子さんが仕事で京都に行った時に知り合い、当時、W不倫中だったそうです。
沢村貞子さんは離婚しましたが、大橋恭彦さんの方は妻と子供もいたためすぐに離婚できなかったの駆け落ちし、同棲生活を送ります。
その後は元妻となかなか離婚が認められず内縁関係を続けていましたが、1968年に正式に沢村貞子さんと結婚することができました。
初婚以外はお互いに再婚同士だったにも驚きですね。
その後、大橋さんが亡くなるまで寄り添い、沢村貞子さんが1996年8月16日に心不全で亡くなった時には、ふたりの希望で死後は一緒に散骨してもらう希望を伝えていて、沢村貞子さんが亡くなったときに一緒に相模湾で散骨をされました。
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