【22年の駆け落ち婚】大橋恭彦は娘や前妻をすてて、妻の沢村貞子と結婚した

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大橋恭彦(おおはしやすひこ)さんは女優の沢村貞子さんと結婚していましたが、実はそれ以前に妻と娘がいることがわかりました。

そんな前妻や娘について見ていきましょう。

 

大橋恭彦の前妻や娘について


画像出典:オークフリー

沢村貞子さんと結婚した京都・都新聞の文化部デスクで映画や演劇を担当していた大橋恭彦さんですが、それ以前は普通に結婚して娘がいたそうです。

その前妻といつ結婚したのかわかっていませんが、時代的に20代では結婚して娘もいたでしょう。

そんな大橋恭彦さんの前妻と娘の名前や画像なども調べて見ましたが、残念ながらありませんでした。

やはり大橋恭彦さんは1946年の37歳の時、仕事で女優の沢村貞子さんと出会い、駆け落ちしたこともあり、そういった資料を手元に残しておかなかったのでしょう。

 

大橋恭彦と沢村貞子の22年の駆け落ち婚

大橋恭彦さんは39歳、沢村貞子さんは37歳の頃から駆け落ちし、東京の代々木上原で一緒に暮らしていたのですが、実はその時はまだ前妻と離婚しておらず、離婚も許されておらず、2人は22年もの間事実婚状態でした。

事実婚状態の間、大橋恭彦さんは前妻にかなりのお金を送り続けていたそうで、子供も成長した頃の1968年にやっと前妻との離婚が成立し、沢村貞子さんと結婚することができたそうです。

大橋恭彦さんの簡単な時系列はこちら↓

  • 1946年:仕事で沢村貞子と出会い駆け落ちし上京
  • 1948年:前妻との離婚が成立し沢村貞子と結婚

駆け落ちし22年間事実婚生活をすることもすごいことですが、最終的に離婚が成立し、沢村貞子さんと結婚することができてよかったと個人的には思いますね。

 

大橋恭彦の上京と沢村貞子との晩年の生活


画像出典:テレ朝

そんな大橋恭彦さんは上京してからは大映の宣伝部で仕事をして独立し、通信社「共立通信社」を経営。

1955年から、休刊中の雑誌「映画芸術」の発行を引き請け、編集発行するが、1970年に編集長の小川徹や社員と対立し、『映画芸術』を小川に譲り渡す。のち、フリーの映画・演劇評論家となった。放送文化基金ドラマ部門専門審査委員をつとめ1994年7月17日に亡くなりました。

2人の晩年は長年住み慣れた東京・代々木上原の家を引き払い、神奈川・湘南に住まいを移しました

老後は、ふたりでおだやかに海の見える場所で暮らしたいという一念で思い立った引っ越し、海の眺められる部屋で過ごされました。

そして大橋恭彦さんが亡くなった後、遺品を整理しているとある手紙が出てきて妻の沢村貞子さんは感動します。

「生来、愚鈍な上に、学もない、貧しくて小心な落ちこぼれ人間でしかなかった私が、戦後、無一文のどん底からなんとか這い上がり生き延びてこられたのは、ただ一人、恵子(沢村さん)という心優しく聡明な女性に巡りあったからである。その意味で、これは、一人の半端人間が、思いもかけない幸運に巡りあったという果報者の奇蹟と言えるかもしれない。ありがとう・・・・・・」

大橋恭彦さんも上京してから仕事に励み、妻の沢村貞子さんは夫のために、ひたすら働き、毎日献立を立ててお世話もしていた、まさに相思相愛の夫婦生活を送れたこと、そしてこの手紙を見てより一生、幸せな気持ちになれたのでしょう。

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