宮嶋みぎわに子供はいないが夫はいた!30歳までに2度の結婚歴と離婚歴を経験。

音楽家

音楽の最高峰『グラミー賞』に過去2回ノミネートされた音楽家である宮嶋みぎわさんの子供や夫について見ていきましょう。

 

宮嶋みぎわに子供はいない!

 

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結論から言うと宮嶋みぎわさんに子供はいません

アメリカに渡る前に2度結婚していますが、子供はできなかったようです。

子供ができなかった理由については『体質的にできなかったのか』それとも『仕事が忙しくてできなかったのか』わかりませんでした。

そんな2度の結婚歴と離婚歴のある宮嶋みぎわさんの夫はどんな人だったのか気になりますね。

 

宮嶋みぎわの2人の夫について

宮嶋みぎわさんは30歳までに2度結婚をしているので、いつどのような人と結婚したのかはわかっていません。

大学を卒業してから8年間の間に2度ですから、『同じ会社のリクルートの同僚』か『大学時代の男性』などの噂がありますが、詳細は残念ながらわかりませんでした。

いつか宮嶋さんが公表してくれるのを待つのみですね。

 

宮嶋みぎわのプロフィール

 

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  • 本名:宮嶋みぎわ
  • 生年月日:1974年生まれ
  • 出身地:茨城県
  • 学歴:上智大学文学部教育学科を卒業
  • 職歴:2004年リクルート退社→30歳で音楽家に転身
  • 名門The Vanguard Jazz Orchestra(以下VJO)の副プロデューサー

会社員から音楽家に転身した宮嶋みぎわさんは幼い頃から音楽には触れていましたが、一時期音楽から離れ、また大学卒業後には普通の会社員になっているなど異色の天才です。

ちなにも出身高校はわかっていませんが、茨城県内の高校に通っていたでしょう。

幼少期から現在までの生い立ちはこちらです↓

 

幼少期

 

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  • 3歳からピアノを始めた

ピアノを始めた理由は第二次世界大戦の終戦直後に生まれて、ピアノを習いたくても習えなかった母親が、娘にはピアノをということで小さい頃から家にピアノを置いていたようです。

5歳の頃から本格的にピアノを習い始め、ピアノの先生が作曲をされており、自分もいつかは作曲家になりたいと思っていたそうです。

  • 6歳の頃に、初めて「サーカス」という曲を作曲

家族でサーカスを見た日に、家に帰るとピアノまで走っていき、突然曲を作ったそうです。

  • 15歳の時には作曲コンテスト全国大会で優勝

 

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高校を卒業し、音大に行くかと思いきや、上智大学に入学します。

音大に行かなかった理由は3つあり、

  • 実家の茨城から東京に通わないといけない
  • 小学校4年生の頃にバランスの取れた人間になりたい
  • 周りに音楽家がいなくて音楽で生活していくイメージが湧かなかった

上智大学に進学できるほど学力も優秀だったことや環境などから音大に行かなかったのですね。

 

大学時代

高校を卒業し、上智大学に入学し普通の大学生活を送っていました。

そして大学2年生の4月一時期ピアノを弾かなくなった頃に風邪を引きやすくなり、疲れてすぐ寝込むようになったそうです。

その時親友が、、「みぎわの身体の具合が悪いのは、音楽から逃げているからだ!」「クラシックで挫折したのなら、ジャズをやってみればいい!」

といい、ジャズサークルに無理やり入部させられたそうです。

先輩の音楽をきき、元々していたクラシックとジャズの違いに感動し、再度音楽に惚れ込み、音楽を再開すると体調不良が一気に治ったそうです。

そしてそれが今の仕事であるジャズオーケストラにつながります。

また大学時代は音楽大学に行かず、独学で音楽の高等教育をマスターしたそうです。

 

会社員時代


画像出典:じゃらん

大学卒業後はリクルートに入社住宅広告制作、ITエンジニア、旅行雑誌編集者、デスクを経験

平日は仕事をし、土日に音楽活動をしていました。

全曲オリジナル曲を演奏するビッグバンドmiggy+(ミギーオーギュメント)を立ち上げ徐々に人気が出てきてライブチケットが毎回完売するまで成長し、東京で最も人気のあるジャズバンドになりました。

リクルートでの最後の仕事は雑誌『じゃらん』の編集デスクだったそう。

『じゃらん』はグルメや旅行などの雑誌ですね。

ちなみに母親の宮嶋裕子が作家の三浦綾子の初代秘書だったこともあるそうです。

 

 

音楽家に転身

 

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2004年にリクルートを辞めてから会社員という肩書きはなくなり、収入もなくなり、貯金が底をついて、東京を拠点に8年間音楽活動をしていましたが、アルバイトなしで生活ができるようになるまでは3年ほどかかったそうです。

当時のみぎわさんは日本在住。そこから英語を猛勉強した。

英語をインプットとアウトプットに分けて学習して、NHK番組で英語をインプットする勉強をし、オンライン英会話で話すことでアウトプットの練習を毎日続けたら、一年の間に話せるようになったそうです。

もともと大学受験で英語を勉強していたにしても日常会話となるとむずしい部分はあるものの宮嶋みぎわさんが相当な努力家ということがわかります。

 

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2008年2月に音楽の勉強をするためにニューヨークに一人旅をし、ジャズクラブ『ヴィレッジ・ヴァンガード』で公演を鑑賞した時に、運命の出逢いがありました。

ヴァンガード・ジャズ・オーケストラ(略称VJO)であり、50年以上の歴史を持つバンドで世界一のバンドを毎日最前列で生で聴き、感動し涙が止まらない中、五線譜にメモしていたところ、3日目のライブの後にサックス奏者ゲイリー・スマリヤンさんに「きみはミュージシャンだよね?」と声をかけられたようです。

そして宮嶋さんはカタコトの英語で「日本でビッグバンドやっている、30曲作った」と伝えると、驚かれ、他のメンバーも集まってきたそうです。


画像出典:レアジョブ英会話

そして日本でライブをしたいと話しをもらい、なんとか日本のブルーノートでVJOのライブをし、全公演が歴史に残るほど満員になり、VJOから正式に日本人代理人になってくれと頼まれたそうです。

それから2012年9月の38歳の時には文化庁新進芸術家海外研修制度研修員としてニューークに移住し、研修したのはビッグバンドジャズの作曲法で、世界的作曲家ジム・マクニーリー氏に師事すると共に、BMIジャズ・コンポーザーズ・ワークショップというクラスに参加し、必死にジャズについて勉強し、元々耳がいい宮嶋さんはミックスの時など重宝され、『耳子』と呼ばれ周りから信頼されていきました。

 

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その後自分のビックバンドを立ち上げ、資金を得るために『アーティストシェア』はクラウドファンディングの先駆者でもあり、宮嶋さんの新譜、そしてジャズ教育を若者たちに与える機会を募るクラファンでは、1万ドルをポンと寄付してくれた支援者もいたという。

その時のことを宮嶋さんは「リクルートで13特集を回していたり、いろんなプロジェクトを同時進行していた経験が今の資金集めやプロデュース能力に役立っている」と語っています。

どうしても音楽できる人はそれ以外ができない人が多く、メジャーデビューしても途中でお金がなくなり、辞めていく天才的な人もいますから、その中でも会社員として働いていた宮嶋さんは世間的には出遅れたと思われていてもちょうどいいタイミングだったのでしょう。

 

現在の活動

宮嶋みぎわさんの現在の仕事はジャズ・ピアニスト、作曲家、プロデューサー、音楽教師などをしています。

日本の音楽大学のジャズコースを対象としたニューヨーク研修をプロデュースなど、学生も安心して学べる環境を提供。

またアメリカでしか出版されないジャズを翻訳し、日本に作曲なども提供したりしています。

今後ともますます活躍が期待できますね。

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