小説家の北方謙三(きたかたけんぞう)さんはハードボイルド小説や、歴史小説で人気を博しております。
そんな北方謙三さんの2人の娘や孫との生活、そして結婚した妻についても見ていきましょう。
目次
北方謙三の2人の娘の名前や現在の年齢について
画像出典:デイリースポーツ
北方謙三さんの子供は娘が2人います。
いつ結婚したのかわかっていませんが、元高校教師の妻がいます。
まだ小説家として売れていない時に妻と結婚し、妻は高校教師をしているので、妻に食べさせてくれると考えたのですが、いきなり妻が「私は専業主婦になる」と言って退職したせいで、必死に稼がざるを得なくなったそうです。
さらに元々、元々純文学を目指していたそうなんですが、子供を授かった時に「この子を食わして行かなくちゃならない」と思い立って、エンターテイメント(ハードボイルド路線)を書き始めたそうです。
そんな北方謙三さんの娘は2人いるのですが、残念ながら長女も次女も名前や生年月日さえわかっていないです。
北方謙三さんは1970年の中央大学在学中の小説家としてデビューしており、1973年に卒業後はPR誌の企画スタッフや肉体労働しながら小説を執筆続けていました。
1981年に単行本のデビューをしているので、それ以前に娘を授かったのではないかと言われています。
その理由は1981年に高級イタリア者のマセラティを購入していることから1975年頃にはもう娘が生まれていた可能性が高いですね。
そうなると、2人の娘の年齢は50歳くらいということになりますね。
娘は2人とも極真空手と剣道をしてる
画像出典:産経新聞
そんな2人の娘ですが、北方謙三さんは高校時代『柔道部』にいたこともあり武道を嗜んでいます。
- 長女は極真空手(全日本チャンプの田中健太郎の弟子)
- 次女は剣道三段
自身が武道をしていたこともあり、精神の強い子供に育てたかったのかもしれません。
ちなみに子供がもし男だったら北方謙三さんは
男だったら張り倒しながら育てているね。
『世の中一般の父親がどうだ、こうだよ』言われても
『俺はこうなんだ』
ってね、自信を持って言ったと思うな、小説を書くことによってね。」
と語っていることから、娘には手をあげないで優しいお父さんだったことがわかります。
もし息子が生まれていたら強い息子に育っていたでしょうね。
北方謙三は孫に対して『甘い』
2人の娘はもう大人です。
どちらが結婚して孫が誕生しているのかはわかっていませんが、孫がかわいく目に入れてもおかしくないという話を聞きます。
一時期イタリア文化にハマり、自分で料理をするようになり、ローマのレジデンスで孫と娘と妻で暮らしていた時期もあり、また日本にある別荘でも家族で暮らしていた時に孫から言われたことに衝撃を受けたそうです。
孫の祖父に対する反応
画像出典:釣り人
料理にハマった北方謙三さんが、カレー1つを作るのにもベースの出汁を時間をかけて取り、妻や娘、孫のそれぞれ好みに合った辛さで調節したり、プロ顔負けの料理をこなします。
そんな北方謙三さんは三浦半島にあるマッカーサーが作った別荘を購入しそこでクルーザーで海に出かけ、魚を釣り、魚料理を頻繁に作っていたそうです。
釣りをする中でも『ノドグロ』を刺身したり、塩を振って一日おいて焼いて食べるなど、料理へのこだわりがかなり強かったのです。
そしてノドグロを釣り上げたことを孫に見せた時に、
「じいちゃん、かわいそうだ。スーパーで魚を買えないから、釣って食べているのだ」
と言われたそうです。
ただ好きな料理をしている中で孫に言われたことが衝撃だったとのちに語っていました。
別荘を3つ持っていて車もイタリア者のマセラティを30年間乗り続けているおじいちゃんですが孫からはお金を持っていないように思えたのでしょう。
いつか孫が大人になった時、スーパーでノドグロの値段を見た時、自分で魚を釣って自分で調理して食べた時などじいちゃんの気持ちがわかるかもしれないですね。
北方謙三と娘との思い出のマセラティ
画像出典:産経新聞
1981年の34歳の時に初めて普通免許を取得し、イタリアにハマっていた北方謙三さんはイタリア者のマセラティを購入しました。
そして65歳の時にスピードをスピードを出している感覚が鈍り、動体視力も落ちてきたと感じ、
「車の事故は人を巻き込む危険がある。場合によっては殺人とみなされる。」
と思い、車に乗ることをやめ、マセラティを手放すことにしたそうです。
その時新旧2台のマセラティがあり業者が引き取りに来た時に、新しいマセラティはボンネットをボーンと叩いて
「いいオーナーにかわいがってもらえよ」と声をかけて送り出した。
25年ほど乗った古いマセラティは、娘たちも見に来て、タイヤに別れのワインをかけながら
「この車でいろんな所に行ったよね」
と語るうちに号泣してしまったそうです。
家族の娘との大切な思い出の詰まったマセラティとの別れは悲しかったのでしょうね。
病気の『がん』が発見した時の娘の一言
北方謙三さんは膀胱がんを早期発見して治療しました。
そして自分で「死ぬんだぞ」と大騒ぎしたら家族も心配してくれると思うと全然違う返答が返ってきたのです。
娘たちも妻の医者から話し手を聞いたけど、
「死にもしないくせに」と家族から馬鹿にされたそうです。
北方謙三さんは1947年10月26日生まれで、[date format=”Y年m月d日”]現在の年齢は0です。
過去に病気になったものの、今でも元気で執筆活動をしているのでこれからも元気で長生きしてほしいですね。