女優の南果歩と元旦那の辻仁成の息子について、そして女優・杏さんとの関係について詳しくご紹介します!
南果歩と辻仁成の息子について
まず南果歩の子供は何人いるのか?1人です。
南果歩と辻仁成との間に1995年9月に第一子となる子供で息子を出産。
南果歩と辻仁成さん1995年に結婚。
結婚から5年後の2000年に南果歩さんと辻仁成さんは離婚する。
南果歩と辻仁成の息子の名前は南依岐(みなみいぶき)さん
生年月日:1995年9月生まれで、2024年11月23日現在の年齢は29歳。
ちなみに南果歩が息子を出産時に生死の境を彷徨ったと語っています。
・妊娠中毒症により妊娠9ヶ月で帝王切開で出産
(妊娠中毒症とは、妊娠中期から後期にかけておこる病気で、症状としては「高血圧」や「むくみ」がおこります。)
・2110グラムの小さな男の子だった
・出産後ICUに運ばれ、意識がぼんやりしながら身体中にチューブに繋がれていた記憶がある
・医師からこれ以上血圧が上がれば覚悟するように言い渡された
・死を感じ取り、ICUの中でビデオメッセージも撮影した
・生まれたばかりの息子を残して死ねないと、意識が朦朧とする中で気を持ち続け回復した
今でも大好きな息子の出産は大変だったのですね。
南果歩と辻仁成の息子で長男の南依岐の学歴と職業について
南果歩と辻仁成の息子で長男の南依岐の学歴や職業について見ていきましょう。
南依岐は小学校から高校まで玉川学園に通っており、卒業後、アメリカ・サンフランシスコの美術大学に留学します。
大学名:アカデミーオブアート大学BFA(サンフランシスコ)
サンフランシスコの大学生活中に南果歩さんは息子に会いに訪れることもありました。
息子の南依岐は大学卒業後、画家になります。
息子の南依岐の職業はアート作家・画家で日本でも個展なども開いております。
初めて個展を開いたのは2015年「Aigorithm」サンフランシスコ郊外の公園で、ゲリラ個展を実施したそうです。
2017年「AAU Spring Show」アテリアギャラリー(サンフランシスコ)
2018年「Deposition」フックプロジェクト(ニューヨーク・ブルックリン)
2019年「Cuisine&Art Collaboration」キュイジーヌヤマグチ
2020年 個展「RISING」西部渋谷店
2021年「consternation」rin art association
「nine colorsXV」西武渋谷店
「Commision Work」西部渋谷店
南依岐の作品は現代アートが多く、抽象的な作品です。
なんでもアルゴリズム手法で描いた作品なのだそうです。
抽象画なので作品は見る人がどう感じるかです。
個人的には下書きの上にある油絵の組み合わせが好きです。
また息子の南依岐から母親の南果歩の母の日に絵も送っている親孝行ものの息子さんですね。
南果歩と辻仁成の息子で長男の南依岐が結婚した嫁と現在について
南果歩と辻仁成の息子で長男の南依岐は2018年に学生結婚しています。
息子の嫁の名前はわかりません。顔画像もいるも隠れていますが、もしすると息子の嫁なのか?という画像を発見。
息子の嫁さんかわいいですね。職業などはわかりません。
息子の南依岐が結婚する前に紹介された時の話です↓
すごくいいお嬢さんと知り合って、会って欲しいと言われた。
私もすごく大変な時だったので、なんだろう?と思いながら会ってみたら、本当に朗らかで前向きで明るくて。
私の20代の頃を思い出させる近しいものを感じたんです。
このように南果歩さんは息子の嫁に対して思ったそうです。
その時期、南果穂さんが病気と離婚で大変な状態だったのです。
・2016年に乳がん手術を受ける
・2017年に元夫の渡辺謙の不倫が発覚
・2018年に渡辺謙と離婚。2度目の離婚歴になる
そんな南果歩さんですが、息子をシングルマザーで一人で育てて、元気に育ち、息子の南依岐は結婚しましたが、現在は子供(孫)がいるという情報はありません。
息子の南依岐さんは学生結婚しましたが、その後まだ学校があり、アメリカに留学に戻ります。
息子が留学した後、南果歩は息子の嫁と同居します。
ここで出てくる問題は嫁と姑の問題です。
一般的に聞く話だと仲が悪いなど聞きますが、南果歩と息子の嫁は違うそうです。
息子の嫁とは実の親子より仲良しだそうで、本当に今現在、娘のような存在のかわいい嫁をもらえて南果歩さんは幸せでしょうね。
ちなみに2022年11月7日の辻仁成のブログに息子の南依岐と息子の嫁が登場します。
辻仁成のパリの自宅まで「誕生日プレゼントを渡したい」と来てくれてお祝いもしてくれたそうで、辻仁成も嬉しかったようです。
南果歩と辻仁成は離婚しましたが、その後の息子の関係が良好でよかったです。
ちなみに息子の南依岐の母親・南果歩にテレビ番組でメッセージがありました。
母は今まで、僕の好きなことや興味があることを全力で応援してくれました。
小さい頃から絵を描くことが好きだった僕はリビングの壁や裸になって自分の身体に絵を描き始めたときも、母は一切怒ることもやめさせることもせず、「面白い!すごい!」と一緒になって笑ってくれました。
そんな母に育てられたこともあり、僕は画家になりました。
いつもありがとう。愛してるよ。
いい息子さんですね。この文章を読むだけでもなんだか心が温かくなりますね。