今回は女優の原節子さんについてです。
矢沢正雄さんという方と結婚し、旦那になるはずだったのですが、2人の運命は家族によって引き裂かれたようです。
その後も恋人はいましたが子供がいるのかも噂になっています。
そして43歳という若さで引退し、晩年は一度も表舞台や外出さえしなかった原節子さんを調べて見ましたので、早速どうぞ。
目次
原節子の旦那はおらず結婚もしていない
山本すずの顔ほんとに大好き 原節子様みたいなクラシックな美しさあるやん pic.twitter.com/9GvyEWsR9O
— チャーリー田母神 (@hereditary_cco) December 11, 2023
原節子さんは人気女優で共演者からも人気でした。
しかし原節子さんは結婚しませんでした。
結婚しようと思っていた相手は矢沢正雄さんという方です。
旦那になるはずだった矢沢正雄さんは陸上短距離の日本代表で1936年開催のベルリン五輪に出場した方です。
原節子と矢澤正雄の出会いと馴れ初め
画像出典:X(旧Twitter)
原節子さんと矢沢正雄さんの出会いは映画『新しき土』の撮影でドイツに渡る直前に偶然出会ったようです。
2人はすぐ仲良くなり、銀座で待ち合わせをしてよく餅菓子を食べたり文通もしており交際に発展しました。
しかし時代は第二次世界大戦の時ですので矢沢正雄さんは戦地に行きます。
出征後も文通を続け1943年に矢沢正雄さんは無事に帰国。
・原節子さんは「生きてくれて本当によかった」と喜んだ
・矢沢正雄さんは「必ず彼女と結婚する」と決意した
ですが、決意も虚しく結婚できませんでした。
世界の違いで結婚を猛反対
画像出典:X(旧Twitter)
せっかく戦争から生きて帰ってきれ結婚する決意までしたのになぜ原節子さんと矢沢正雄さんは結婚できなかったのか。
それは矢沢正雄さんの父親の意見があったからです。
当時、原節子さんは日本の大スターでした。
矢沢正雄さんは厳格な父親から「華やかな世界の人と、一緒になってはいけない」と猛反対されてしまっていたようです。
そして結婚の話は流れ、その後、原節子さんは一度も結婚することなく生涯独身を貫きました。
個人的に悲しい出来事だと思いますが、時代によって引き裂かれた2人だったのですね。
ちなみにマッカーサーの愛人説もありましたが、マッカーサーが原節子さんのことを「チャーミング」と言っていただけで愛人というのは嘘か真かわからない都市伝説のような話だったようです。
原節子の子供はいるのか?
生涯独身を貫いた原節子さんですが、子供がいるのかということです。
確かに未婚のまま子供を妊娠し出産することはあります。
しかし原節子さんに子供がいたということは調べても出てこないので、子供はいなかったのでしょう。
矢沢正雄さんとは結ばれなかったのですが、その後も両思いの恋人がいたそうです。
映画監督:小津安二郎と相思相愛だった
画像出典:ウィキペディア
原節子さんは結婚するはずだった矢沢正雄さんと別れてから、映画監督の小津安二郎さんと交際します。
女優と監督の関係で、小津安二郎さんは原節子さんを眺めながら頬を染めるほど愛していたようですが、2人はあえて結婚しませんでした。
「小津映画は10年に一度は同じ映画を見てみたい。その時、どれほど理解できるかを確認したい。つまり小津映画は、自分が人生をどれだけ分かっているかを測定する『リトマス試験紙』の役目を果たすだろう。それが、『小津映画リトマス試験紙説』なのである」西村雄一郎「殉愛 原節子と小津安二郎」 pic.twitter.com/CLANayYlqL
— ノリオ (@norioNY) March 28, 2020
2人が結婚しなかった理由はわかりませんが、小津安二郎さんは原節子さんを『映画界のミューズ』として作品に起用し続け、お互い幸せな時間を過ごしました。
30代後半からは母親役の映画にも出演しましたが、1963年12月12日に小津安二郎さんが亡くなり、原節子さんが43歳の時に芸能界を引退します。
他にも引退理由は噂されており
・老いていく姿を人前に晒したくないと考えていた
・撮影用のライトで白内障を患った
・戦前の国策映画に出演した責任を感じ、ケジメをつけた
など色々な噂が飛び交っていたようです。
原節子は晩年、隠居生活で外出しなかった
平成も終わりを迎えつつある今、もう時効だろう。2015年9月5日、95才で亡くなった往年の大女優、原節子さんの晩年の幸福そうな写真を見つけた。美しさや信念、そしてその意思ある存在感はやはり別格のものがある。敬意を込めてここに公開したい。 pic.twitter.com/oEjnqMCHVw
— オクイシ ネオン (@OkuishiNeon) January 4, 2018
原節子さんは芸能界を引退後、表舞台には一切出ずに晩年を過ごします。
「引退後は海外旅行や国内旅行に行きたい」と語っていたのですが、外出も外食もしない晩年を過ごしていたようです。
原節子さんは鎌倉市の自宅で親戚と暮らしていたそうで、近所の人には元気であることがわかっていたのみです。
なぜ外出しなかったのかは謎ですが、何か理由はあったのでしょうね。
2015年9月5日に95歳で亡くなった原節子さんですが、最後まで笑顔で素敵な写真があり、幸せな晩年を過ごしたのですね。
ちなみに晩年過ごした鎌倉市は矢沢正雄さんの出身地でして、いろんな思いを感じながら過ごしたのでしょう。
天国で矢沢正雄さんと結婚できていることを願います。
最後までお読みいただきありがとうございます。