今回は金八先生の脚本家として有名な小山内美江子さんの子供や現在の病気の様子などについて見ていきましょう。
目次
小山内美江子の子供は息子で俳優の利重剛
小山内美江子さんは1930年1月8日生まれです。
2024年5月2日に94歳で老衰のため亡くなりました。
ご冥福をお祈りいたしします。
そんな小山内美江子さんは1962年7月31日に第一子の子供。
息子で長男の利重剛(りじゅうごう)さんを出産。
小山内美江子が32歳の時に出産した子供です。
息子の名前は利重剛さん
生年月日:1962年7月31日生まれで、2024年11月21日現在の年齢は62歳
学歴:成城高等学校→成城大学中退
職業:俳優・映画監督
・ドラマ「金田一少年の事件簿」「金八先生」「HERO」「半沢直樹」「ガリレオ」
・映画「ハチミツとクローバー」「チーム・バチスタ」「釜石ラーメン物語」など
俳優としても映画監督としても数々のドラマや映画に出演されています。
小山内美江子の息子の利重剛の嫁や子供について
小山内美江子の息子の利重剛は1度の離婚2度の結婚し1人の子供がいます。
1度目の結婚
1990年に小説家の鷺沢萌(さぎさわめぐむ)さんと結婚。
1991年に離婚。
2度目の結婚
2002年にプリンセスプリンセスのキーボードの今野登茂子(こんのともこ)さんと結婚。
2004年に子供(孫)が誕生。名前は「のどか」ちゃんと言われています。
小山内美江子について
1930年1月8日生まれ。
1962年7月31日に息子の利重剛の出産を期に離婚。
その後シングルマザーとして子供を育て若い頃から積極的に仕事をしています。
脚本家としての活動
・3年B組金八先生
・徳川家康
・翔ぶが如くなど
・本日も晴天なり
テレビドラマや大河ドラマや朝ドラも脚本もされていた方です。
小山内美江子が金八先生を降板と追放の噂
小山内美江子は1979年〜2004年の前半まで25年間もの間、金八先生の脚本をしていました。
しかし2004年の後半は脚本家が変わってしまいました。このことから降板や追放、はたまたTBSとの確執があるのではないかと言われています。
調べたところ2004年に小山内美江子さんはガンの闘病中に脚本家として仕事をしていたが、本人は執筆活動に何も影響ないと言ったものの、一方的にTBSによって更迭。つまり降板させられたと言われています。
闘病中だったこととTBSのドラマ制作部の福澤克雄さんという方ともよく脚本の内容で衝突していたそうです。ちなみに福澤克雄さんはあの福澤諭吉の玄孫です。
福澤克雄は金八先生のシリーズ4ー7まで演出を担当しています。
過激な題材やドラマチックな演出で視聴率も上がりました。
しかし脚本家と演出家という立場で相容れないものがあったそうです。
それが「視聴率がとれてなんぼ」ということです。
テレビマンですからそこは重要です。
例えば、世の中では、中学生で携帯電話を持っている生徒は大勢いるのにその描写を小山内美江子はいれないとか。
小山内美江子は理想を求めたが、TBS側はリアルを求めたことで対立してしまったそうです。
福澤克雄さんは敏腕で「GOOD LUCK!」「半沢直樹」「下町ロケット」なども手掛けています。
漫画家のアニメ化や実写化では漫画家は諦めているということもありますし、そんなとこなのでしょうね。
ちなみに金八先生に出演していた上戸彩さんとのツーショット写真もあります。
小山内美江子の夫について
小山内美江子は1962年に結婚と出産をし、その後離婚。
結婚した夫のことはほとんど情報がありません。
一部では業界関係者などでは?と言われています。
しかし、現在、元夫は亡くなっております。
小山内美江子の現在について
小山内美江子は現在「認定NPO法人 JHP・学校をつくる会」の代表をしています↓
カンボジアに学校を作って勉強のできない子供たちに勉強ができる場を提供したり、モンゴルへ制服提供のための募金活動などを行なっています。
基本的には大学生達を活動の主体とした団体でボランティア活動をしています。
またこのボランティア団体には女優の上戸彩さんも寄付しているといいます。
脚本家として成功を収め、ボランティア活動、素晴らしい人柄ですね。
小山内美江子の病気や施設での生活
小山内美江子は2018年末から2019年10月まで6度の入院と5度の手術をしていたそうです。
2018年末、心不全で緊急入院。昨年の正月は病院で年を越すところから始まった。3月には脳を包む膜と脳の表面の間に血液がたまる慢性硬膜下血腫を患い、ドリルで頭蓋骨に穴をあけた。4月と5月には血液の薬の副作用で再発し手術。5月はさらに、5年前に心臓大動脈弁の手術をした際に付けたペースメーカーの入れ替え手術を行った。
度重なる手術にも気力は衰えなかった。「自分の脚で歩きたい」と、入院の寝たきり生活で衰えた足腰を鍛え直すために、横浜市内の施設に移ってリハビリを開始。周囲に元気な姿を見せ驚かせた。
6月に、今度は心不全の初期症状である浮腫(むくみ)が出始め再入院した。その後退院したが、7月には転んで背中を圧迫骨折。この時は入院はせず、絶対安静で自然治癒を目指した。10月には再び転倒し、今度は大腿骨頸部(右太もも付け根)を骨折したため入院。ボルトを埋め込む手術を受けた。
約1年間で6度の入院と5度の手術。10月に骨折した時には、小山内さんの家族や親しい関係者は「もうさすがにダメだと思った」と覚悟したという。しかし小山内さんは施設での週5回のリハビリで驚異的な回復。今では施設周辺を散策したり、週1回は外食でステーキを食べるほどに体調も戻ってきた。小山内さんは「2019年、振り返ってみればゆっくりできた。今まではせっかちに活動していたから、休むのも大事だと思い知らされた」と振り返る。
リハビリ施設ではご高齢にもかかわらず驚異的な回復ぶりを見せたそうです。
また小山内美江子さんの頭の中に「次回作の構想は常に頭の中にある」らしくまだまだ脚本家として現役です。
これからも小山内美江子さんには病気もなく元気に暮らしてほしいと思います。