俳優・山形勲さんの家族。嫁や息子について調べました。
山形勲さんについて
生年月日:1915年7月25日イギリスロンドン生まれです。
東京市麻布区市兵衛町(現在の東京都港区六本木)出身。
父親の山形巌は1881年大阪生まれ。少年時代にサーカス団員となり、
1917年の帰国まではヨーロッパ各国で軽業師をしていた。1935年に日本俳優学校を卒業。兵役を経て1936年に東宝劇団に入団した。
1942年、佐々木隆、鈴木光枝、山村聰らと劇団文化座を結成。
同座には1953年まで在籍した。1949年、『斬られの仙太』で映画に初出演した。
初めは市川崑の監督作品や黒澤明監督の『七人の侍』などに出演していたが、
しだいに悪役として注目され、その後は東映時代劇に多く出演、
品のある悪役として活躍した。時代劇のほか、現代劇でも活躍しており、
大学教授・会社重役・高級官僚などの役を演じることが多かった。
1976年公開の山崎豊子原作の映画『不毛地帯』(山本薩夫監督)では
仲代達矢演じる主人公・壱岐正を招き入れる近畿商事の大門一三社長を演じている。テレビドラマにも多く出演している。特に、『剣客商売』では
加藤剛演じる剣客・秋山大治郎の父親の秋山小兵衛役で主演。
また、『水戸黄門』では第1部から第18部まで柳沢吉保を演じ、はまり役と言われた。
【1954年公開映画『三つの愛』】
【1973年ドラマ『剣客商売』】
【その他の出演作品】
【映画】
・幕末(1970年、中村プロ) – 山田広衛
・東京⇔パリ 青春の条件(1970年、松竹)
・子連れ狼 死に風に向う乳母車(1972年、勝プロ) – 猿渡玄蕃
・しあわせの一番星(1974年、松竹)
・球形の荒野(1975年、松竹)
・不毛地帯(1976年、東宝) – 大門近畿商事社長
・徳川一族の崩壊(1980年、東映) – 板倉静勝
・ちゃんばらグラフィティー 斬る!(1981年、東映)
・鱒 La Truite(1982年、フランス映画)他 ※大阪ヨーロッパ映画祭で上映され日本ロケも行われた
【ドラマ】
・時代劇スペシャル / 松本清張のかげろう絵図(1983年、CX / 東映)
・奉行暗殺始末(1983年、CX / 国際放映) – 津田庄左エ門
・ザ・サスペンス (TBS)
・残酷な旅路(1983年)
・黄色の誘惑(1983年)
・火曜サスペンス劇場 / 家族の選択(1983年、NTV)
・大奥 第36話「密会」(1983年、KTV / 東映) – 堺屋茂左衛門
・月曜ワイド劇場 / 美貌のメス(1985年、ANB)
・土曜ドラマスペシャル / 塀の中の懲りない面々(2)(1988年、TBS)
・土曜ドラマ / されど、わが愛(1995年、NHK)他
名作ばかりですね。
「HOTEL NEW KAMAKURA」との関係が?
鎌倉駅のホームから一望できる場所に、
そこだけ時が止まったような洋館がたたずむ。銅ぶきの屋根の上に、
「HOTEL NEW KAMAKURA」という、
アールヌーボーの切り文字プレート。春には玄関前の桜の大木が
花をいっせいに咲かせて、ひときわその存在を引き立てる。
興味をかきたてられる建物だが、レストランやカフェを併設していないので、
普段、中に入ることはかなわない。ホテルニューカマクラの敷地には、当時、
京都の料亭「平野屋」の支店である木造の建物群があった。
しかしその建物は、大正12(1923)年9月1日の関東大震災で倒壊。
翌年に、俳優の山形勲の母が、
敷地を引き取って、鎌倉初の洋風ホテル「山縣ホテル」を開業した。
その時の建物が今の本館だ。
昭和の初めに、土地と建物を別の方が購入し、
現在は、ご家族が経営しているというわけではないようです。
山形勲の家族・嫁はどんな人?
山形さんがベルリン滞在中に日本から呼んだ女性と結婚したそうです。
名前は分かりませんでした。
一般人であることは間違いないようです。
山形勲の子供はテレビ朝日のプロデューサー
山形勲さんには、息子さんがいることが分かりました。
お仕事は、テレビ朝日のプロデューサーをしているそうです。
名前は、塙淳一さん。
テレビ業界にいる息子さんですが、一般の方なので、画像はなくどんな方なのか、詳しい情報はありませんでした。
プロデューサーとして「家政婦は見た」などを手掛けています。
残念ながら、山形勲さんは、1996年6月28日 若いころから患っていた肺結核の為、東京都立府中病院で亡くなりました。
81歳でした。
名脇役として活躍した山形勲さん。
1988年には、勲四等瑞宝章を受賞。
【瑞宝章(ずいほうしょう)とは?】
日本の勲章の一つ。
渋沢栄一(第一銀行頭取)、古河市兵衛(足尾銅山経営者)、
伊達邦成(北海道開拓者)の4人が、「民間人」として
初めて勲四等瑞宝章を受章した。それまで、
勲章は国家のために尽くした者、つまり官吏にしか授けられなかったが、
同年賞勲条例が改正され、民間人でも
国家のためにつくした者には授与されることとなった。
素晴らしい功績を持つ俳優さんでした!