森繁久彌の息子の森繁泉・森繁建。娘の和久昭子と養女のクラーク桂子について

俳優

長寿番組『徹子の部屋の第一回のゲスト』で元NHKのアナウンサーでコメディアンで俳優の森繁久彌(もりしげひさや)さんは2009年11月10日に死因は老衰で96歳で亡くなっています。

1938年に妻の満壽子さんと結婚し4人の子供、長女の和久昭子さん、長男で元俳優の森繁泉さん、次男の元俳優の森繁建さん、養女のクラーク桂子さん、森繁久弥さんの晩年は孫とひ孫を合わせて17人おり、今のなお慕われる森繁久弥さんについて見ていきましょう。

 

森繁久彌の息子と養女の名前や年齢について


画像引用:森繁久弥

森繁久彌さんの子供は何人いるのか?2人の息子と1人娘と養女の娘の4人います。

1938年に妻の満壽子さんと結婚。


画像引用:知床旅情秘話

1939年4月4日に第一子の子供。娘で長女の和久昭子(わくあきこ)さんが誕生。
1941年1月7日に第二子の子供。息子で長男の森繁泉(もりしげいずみ)さんが誕生。
1942年12月10日に第三子の子供。息子で次男の森繁建(もりしげたつる)さんが誕生。
1946年生まれでの養女のクラーク桂子(旧姓:小関桂子)

子供たちそれぞれの2024年05月06日現在の年齢↓

娘で長女の和久昭子さんの年齢は85歳。
息子で長男の森繁泉さんは1999年1月23日に肝臓がんで58歳の若さで死去。
息子で次男の森繁建さんの年齢は81歳。
養女のクラーク桂子さんの年齢は77歳。


画像引用:森繁久弥

孫とひ孫が合わせて17人いたそうですが、息子や娘の子供が何人いたのかはわかっておりません。ただ孫に囲まれている森繁久弥さんの顔を見ると最後まで幸せだったんだなと想像できます。

 

息子と娘の大学について


画像引用:玉川大学

長女の和久昭子さんは玉川大学農学部卒業
長男の森繁泉さんの大学は非公表
次男の森繁建さんは玉川大学文学部英米文学科卒業
養女のクラーク桂子さんの学校も非公表

長女と次男が玉川大学ですので、長男も玉川大学ではないかと思います。養女のクラーク桂子さんに関しては19歳でアメリカに行き結婚しているのでわかりません。

 

娘で長女の和久昭子さんについて


画像引用:X(旧Twitter)

娘で長女の和久昭子さんは弟2人と違い、芸能人にはならなかったようです。

次男の森繁建と一緒に本を出版していますが、表舞台に出ず、結婚して嫁ぎ一般人として現在も生活しているようです。孫の勤ちゃんが娘の和久昭子さんの子供と言われています。

 

息子で長男の森繁泉について


画像引用:ヤフオク

森繁泉さんは元俳優で1962年に映画『空と海の結婚』に出演しています。菅原文太さんや原知佐子さんと共演。俳優引退後は東広島市にある株式会社賀茂カントリークラブ(ゴルフ場)の社長に就任。


画像引用:賀茂カントリークラブ

1999年に亡くなった長男の森繁泉さんの事業で借金20億円あったと言われており、清算のため、世田谷区船橋にあった敷地面積700坪以上の豪邸の自宅『通称(森繁御殿)』を売却し、跡地に建設されたマンションの一室を自宅にし住んでいました。

そして自分より先に亡くなった息子の森繁泉さんのことの取材で「息子が壁に落書きしたのでひっぱたいてねぇ・・・毎日死んだせがれのことばかり思う。達者なのか」と語っていました。

ちなみに森繁久彌さんは長年船橋に居住していて、世田谷区の名誉区民でした。

 

息子で次男の森繁建について


画像引用:四国新聞

息子で次男の森繁建さんは昔、映画『喜劇 各駅停車』に出演し俳優をしていたと言われています。その後の作品などはわかりませんでした。また森繁建さんは映画が好きで映画を上映する司会を務めたりし、世田谷区内の高齢者や全国の映画ファンに向けて現在も活動しているようです。

森繁健さんが長男の森繁泉さんが死去してから会社を引き継ぎ、株式会社賀茂カントリークラブの代表取締役会長を務めたそうです。会長なので表に情報は出てきませんが、現在の代表取締役社長は中谷慎太郎さんという方が経営しているそうです。


画像引用:Amazon

父親の森繁久彌さんが死去してから翌年の2010年5月1日に長女の和久昭子さんと『人生はピンとキリだけ知ればいい わが父、森繁久彌』という本を出版します。

その後の現在、息子の森繁建さんが何をしているかはわかっていません。


画像引用:好書好日

ちなみに息子で次男の森繁建さんは今でも父親の『森繁久弥をしのぶ集い』大村崑さん、加藤登紀子さん、原壮介さん、小野武彦さんの5人で『知床旅情』を歌ったり思い出を語り合ったりしています。

 

森繁久彌の養女・クラーク桂子について


画像引用:賛美

森繁久彌さんは1964年〜1967年まで『今晩は森繁久彌です』というラジオ番組をやっていて、お便りの中に10代の女性の話がありました

それが後に養女になるクラーク桂子さんです。

「小関桂子さんの父親は黒人兵士で、母親は出産後行方知れずになってしまいました」

小関桂子さんは子供のいない家庭に引き取られ、悲惨な境遇の中で育った内容に森繁久彌さんはショックをうけ、面倒をみることになった。そして桂子さんはアメリカ人男性のクラーク・ナタナエルさんと恋に落ち、結婚のための渡航手続きをするためにアメリカ大使館へ行ったのですが、パスポートのビザも発行できませんでした。発行できなかった理由は小関桂子さんに国籍がなかったからです。森繁久彌さんはアメリカ大使館で戦後の混乱期にことだからといくら説明しても相手は納得しなかった。じゃあ誰でも納得できる理由が必要ということで小関桂子さんを養女にしました。しかし、それでも相手は「ほんとうの国籍ではない」と言い文句を言ってきたところに妻の満壽子さんが怒り、大使館の人に「この子の幸せをメチャクチャにするつもりか!」と噛みついたのです。そんなことがあって大使館の人も折れ、養女の桂子さんが渡米する許可が出て国際結婚できました。


画像引用:賛美

渡米する日の朝、森繁久彌さんと妻の満壽子さんは養女の桂子さんのために振袖を用意したそうです。そして養女は14歳年上のクラーク・ナタナエルさんと結婚しクラーク桂子となり、カルフォルニアで幸せに過ごし、3人の子供に恵まれました。


画像引用:賛美

あの時ラジオにクラーク桂子さんがハガキを送っていなければ、たまたま森繁久彌さんのハガキを読んでいなければ、今どうなっていたかわかりませんね。辛いことがあっても何がきっかけで幸せを掴めるかわかりません。森繁久彌さんの男気とそれを許した妻の満壽子さん、そして運命を切り拓いたクラーク桂子さんたちを尊敬します。


画像引用:愛のひとさじ

1990年に森繁久彌さんの妻の満壽子さんが亡くなり、2009年11月10日には森繁久彌さんが亡くなりました。その時、クラーク桂子さんはアメリカから来て1週間前から毎日病院に通い、亡くなった後も葬儀に来て、親族の中に一緒に入れて挨拶したり、次男の森繁建さんは養女のクラーク桂子さんを本当の兄弟のように思っていたそうです。


画像引用:愛のひとさじ

クラーク桂子さんの著書『日本人桂子』には自らの壮絶な生い立ちなど人生について書かれています。そして現在も90歳を超える旦那と孫と幸せに生活しています。

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