今回は、村松英子さんについて、ご紹介したいと思います。
目次
村松英子の娘や息子は高齢出産だった?
一体どんなお子さんなのでしょうか?
39歳で1人娘を出産していた
こちらは村松英子さんの娘さんのプロフィールです。
村松 えり(むらまつ えり、1977年9月19日 – )は、
日本の女優。エビス大黒舎所属。東京都出身。身長158cm、体重50kg。
村松英子さんは今年79歳、娘の村松えりさんは今年40歳です。
となると、村松英子さんは39歳の時に娘のえりさんを出産したことになります。
↑の画像は村松英子さんと娘のえりさんのお写真ですが、
かなり歳の離れた親子ということになりますよね。
村松 英子(むらまつ えいこ、1938年(昭和13年)3月31日)は、
日本の女優・詩人。東京都出身。身長162cm、体重50kg。
父は精神医学者の村松常雄、母方の祖父は田部隆次。実兄は文芸評論家の村松剛。
兄の友人三島由紀夫の弟子で演劇活動を引き継いでいる。
再従兄弟に当たる夫の南日恒夫(日本テレビ勤務の技師)は南日恒太郎の孫。
本名は南日英子。
なぜ村松英子は高齢出産だったのか??そこには三島由紀夫との関係が!!
村松英子さんは、実のお兄さんである村松剛さんの友人であった、
三島由紀夫さんの弟子をしていました。
三島 由紀夫(みしま ゆきお、本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)、
1925年(大正14年)1月14日 – 1970年(昭和45年)11月25日)は、
日本の小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家・大蔵官僚・皇国主義者。
三島由紀夫さんと言えば、日本の小説家であり劇作家なのですが、
晩年は政治的な傾向を強め、自衛隊に体験入隊し、民兵組織「楯の会」を結成。
1970年(昭和45年)11月25日、楯の会隊員4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地
(現・防衛省本省)を訪れ東部方面総監を監禁。
バルコニーでクーデターを促す演説をした後、割腹自殺を遂げた。
この一件は世間に大きな衝撃を与え、新右翼が生まれるなど、
国内の政治運動や文学界に大きな影響を及ぼした。
晩年は、政治的な傾向が強く、自衛隊に入隊したのち、
バスコニーでクーデターを起こすかのような演説をした後、
割腹自殺を遂げた人物です。
村松英子さんといえば、↓以下の経歴を持つ、生粋のお嬢様です。
日本女子大学附属豊明小学校から日本女子大学附属中学校・高等学校、
日本女子大学英文科を卒業後に、慶應義塾大学大学院英文学科修了。
大学院ではエリオットを研究した。
日本女子大学在学中に文学座に入団後、座員に昇格、
1961年11月に杉村春子の花束を渡しに来た三島由紀夫と初対面を果たします。
後に村松英子さんはこの三島由紀夫の弟子となるのです。
過激で変わった人物の弟子となった村松英子さん、師匠の三島由紀夫さんはその後劇団を辞めて、
軍隊に入隊、割腹自殺を実行するなどかなり破天荒な方だったようなので、
そんな三島由紀夫さんから劇団を引き継いだあたりが、
忙しくて出産どころではなかった・・・だから高齢出産となったのではないかと推測できます。
現在は何しているの?
現在の活動についてです。
三島由紀夫自決後は劇団の運営に奔走
三島自決以前より、決定していた1971年(昭和46年)3月公演の『サロメ』は、
急遽、三島由紀夫追悼公演となった。公演が行われた紀伊國屋ホールには、
多くの観客が詰め掛け大盛況となったが、精神的支柱であった三島を突然失ったことで、
劇団運営の行く末は全く見えなくなった(経緯は、弟子の村松英子による回想、
『三島由紀夫追想のうた』阪急コミュニケーションズに詳しい)。三島由紀夫さん自決後は、「サロメ」の講演を開くなど、
劇団運営に奔走していた村松英子さん。
それだけ三島由紀夫さんの為に奔走するにはある理由があったのです。
自決する半年前に村松英子のことでコンタクトをとっていた
このある人物は2008年5月、村松親子から招待を受けて、
村松英子さんの娘・えりさんの芝居を見にいっています。
中野の「ザ・ポケット」という小劇場で芝居を観てきた。
「誰が為ニ陽ハ昇ル」に、小さい頃から可愛がってきた村松えりが出演しているからだ。
もっとも「観てきた」というより、「切符を用意しているので来てください」、
と招待を受けたというほうが正しい。
その人物が村松えりさんの劇団を見に行ったあと、
三島由紀夫さんとの約束について語っています。
それはともかく、村松えりは村松英子の娘だ。この村松英子といえば、
三島由紀夫の秘蔵っ子で、三島演劇で数々の主役を演じてきた知的女優である。実は、三島由紀夫が自決する半年ほど前、当時「女性自身」編集長だった私は彼に呼ばれ、
「女優をひとり面倒見てくれ」と頼まれた。三島の依頼なので、私は快く引き受けたのだが、その女優が村松英子だった。
彼女もなぜ、見知らぬ私とつき合わなければならないのか、やや不審の面持ちだった。
だが三島は、自分の死後のことまで考えていたのだった。
彼女に、私という相談相手をつけたのだ。
その人物とは、有名雑誌「女性自身」の元編集長だったのです。
村松英子さんは南日恒夫さんという方と結婚しますが、
娘が幼い時に他界しています。
そんな親子を支えてきたのは、この「女性自身」の元編集長だったのです。
早くに父を亡くした娘のえりは、幼い頃から「おじさま」と私を呼びつつ美しく育ったが、
かつて母親の村松英子が、私のところにやってきた年頃になってきた。
私から見ると、母親そっくりの顔立ちと声になっており、
このまま芝居をつづけてほしい気持ちもあるが、
いい男性を見つけて、結婚してほしい気持ちもある。
村松英子さんの娘・えりさんは現在40歳ですが、まだご結婚はされていないようです。
きっとお母様の村松英子さんとこの「女性自身」の元編集長は、
きっと1日も早い結婚を待ち望みにしているのかもしれませんね。