堂珍嘉邦さんは、2001年に「CHEMISTRY」としてデビュー。
2012年からソロとして活動をするかたわら、俳優としても活躍中です。
そしてYoutube公式チャンネルを開設し、MVを33本一挙公開し復活。
そんな堂珍嘉邦さんの子供と元嫁とは?
堂珍嘉邦
名前:堂珍嘉邦
生年月日:978年11月17日
年齢:38歳
出身地:広島県安芸高田市
ジャンル:アンビエント・シューゲイザー・ポップス
職業:ミュージシャン・俳優
担当楽器:ヴォーカル・ギター
事務所:ソニー・ミュージックアーティスツ高校卒業後の01年、テレビ東京系「ASAYAN」の 男子ボーカリストオーディションで約2万人から選ばれ、
川畑要とCHEMISTRYを結成。「PIECES OF A DREAM」でデビュー。
04年6月に結婚し、同12月に長男、07年11月に次男、09年6月に男女の双子が誕生。
174センチ。血液型O。
ケミストリーといえば今の20〜30代の人からすれば青春時代を共に過ごしたアーティストの一つですよね。
ケミストリー
2012年4月より活動を休止し、今年2月28日と3月1日に東京・東京国際フォーラム ホールAで行うワンマンライブ「CHEMISTRY LIVE 2017 -TWO-」にて再始動するCHEMISTRY。YouTubeでは彼らのデビューシングル曲「PIECES OF A DREAM」から2011年発表の「eternal smile」まで33本のミュージックビデオを観ることができる。
また2月21日には松尾潔が作詞とプロデュースを担当し、「再始動」をテーマに制作された新曲「ユメノツヅキ」のMVがYouTubeで公開される。
ファンにとっては嬉しいことですよね。
子供について
堂珍嘉邦さんと堂珍敦子さんが結婚したのは2004年6月1日で、できちゃった婚でした。
2002年頃から交際の噂がありましたので、少なくとも約2年程度付き合ってからのゴールインとみても良いかもしれませんね。
子供は何人いるの?5人います。
スゴイですね。5人も出産しているんです。
2004年12月11日第一子(長男)
2007年11月17日に第二子(次男)
2009年6月1日に第三子・第四子(双子、三男と長女)
2014年2月末に第五子(四男)が誕生している子沢山夫婦です。
双子もいてるんですね。それにしてもこのご時世で宝の山です。
子供の性別も男4人と女1人・・・娘さんかわいがられそうですね。
ちなみに長女の昔、自転車の車輪に足を挟まれた時(当時6歳)元巨人の清原さんに助けられた過去があるそうです。
奥さんの堂珍敦子さんのブログには年齢も↓
我が家の5人の子供達、、小学生4人に、2歳児1人。なんですね~❗6年、3年、1年生の男女の双子に、2歳児です。
みんな楽しそうでいいですね。ただ顔が見えないのが残念。
ブログでの内容↓
敦子は5日のブログで子供4人を連れて実家に帰省するため、新幹線を利用した際のヒヤリとした“事件”を述懐。「両手に5人分の荷物かかえ、双子と手をつなぎ、、、新幹線乗る時、まさかの、、双子のお兄ちゃんが、線路とホームに転落っっ 幸い、お尻が引っかかり、下まで落ちる前に引っ張りあげることができて、大事にはならずに、済みました」とあわや大惨事の可能性もあったことを明かし「はー、焦った」と振り返った。
子供のためにキャラ弁も作る最高の嫁。
こんなにカワイイ弁当だとお子さんはとても喜ぶでしょうね。
学校はどこ?
一番上の長男の年齢は12歳です。もう中学校に入りますね。
幼稚園は青学。つまり
青山学院の幼稚園に通っていたみたいで、
そのままエスカレーター式に息子の小学校、中学校、高校、大学と青山学院になりそうですね。
長男はもう小学校を卒業ですし、イケメンな父親、美人の母親の子供はどんな顔をしてるんでしょうね。
他にも「千葉」や「鎌倉」「湘南」「公立に転校した」のではないかと言われていますね。
離婚した嫁は誰?
結婚相手の名前は堂珍敦子(どうちん あつこ)
堂珍の妻 堂珍敦子
原田梓帆(はらだ・しほ)の芸名で99年に「JJ」専属モデル、00年にキリンビールキャンペーンガール。1978年(昭53)7月17日、奈良県生まれ。
その後、芸名を森田あつ子に改名し、02年にTBS系「マイリトルシェフ」などドラマに出演。堂珍と結婚、産休を経て「VERY」専属モデル。
11年には著書「『甘え上手』な子育て論」を出版。
168センチ、血液型O。
奥さんは超美人ですね。
馴れ初めから離婚理由
元々2人は2004年にお子さんが出来たことで授かり婚、出来ちゃった結婚をしています。
2人が今回、離婚に至ったきっかけはですが、元々、堂珍さんは奥様には家庭に入り、妻、母として夫や家庭を全面的にバックアップしてほしいと奥様には「内助の功」を求めていたんだそうです。
しかし、奥様である敦子さんはモデルとして活動を行いたいとご自身も表舞台に出ることを希望し、徐々に2人の気持ちがすれ違っていってしまったそうです。
元々、敦子さんはモデルという華やかな世界で活躍していたということもあり、本業は母親ですが、”モデルとして仕事している瞬間は妻や母親という肩書きを忘れ、仕事に没頭することが出来て楽しかった”のではないかと思います。
こういう仕事に打ち込むなど自分だけの時間を持つことで、母親、奥さんとして頑張る原動力に繋がる奥様もいるのですが、価値観の違いというのはこういうことから生じてくるのでしょうね。
なるほど・・・毎日家にいる生活が退屈だったんですね。
堂珍さんは仕事が忙しく自宅にいることが少なかったために、敦子さんは自分の母親や双子ん弟、シッターさんやご近所さんなど、いろいろな人の手を借りながらお子さんを育てたそうです。
都会での子育てとなるとご近所付き合いに希薄な部分があるので、ご近所を巻き込んでの子育てとなると、難しい部分が多いのではないかと思いますね。
元々、愛され甘え上手な敦子さんは人間関係もしっかりできていたんでしょうね。
留守がちな旦那の堂珍さんは家庭にいることが少なく、いて欲しい時にいないため、敦子さんのイライラは募るばかり。
だったらいっそのこと距離を置いた方がいいということで、
実際に2012年に別居に踏み切ったこともあったようです。
この時の離婚危機は話し合いなどで乗り越え、敦子さんの希望で子育て環境を向上させるために、一家で神奈川県の湘南エリア(鎌倉)の自宅に引っ越ししたそうですが、
5番目妊娠中に敦子さんから堂珍さんに・・・
「生まれる前に離婚して欲しい」
という申し出があったそうです。
元々、敦子さんは堂珍さんの手を借りずに今まで4にんもの子育てをしてきている訳ですから、離婚してシングルマザーになっても今までとほとんど生活自体は変わらないですしね。
そして一度別居生活をしたことで、たまにしか家に帰ってこない夫と一緒に生活するということがいかにストレスだったということなのかを身にしみて実感してしまったのでしょうね。
長い時間、同じ空間で時間を共有していて、別居すると寂しい思いもあり、復縁することもありますが、元々、帰ってこない旦那にイライラしていての別居はもうほぼ離婚確定になるんですね。
親権や慰謝料について
現在二人は離婚の協議に入り明らかなことはわかっていないですが、子供の親権や慰謝料についてはどうなんでしょうか?
夫の堂珍さんは今まであまり子育てに介入されていませんし、お子さん5人に親権は敦子さんがお持ちになる可能性が高そうですね。
慰謝料についてはお互いに不貞行為があっての離婚ではありませんので、それ程高額にはならないと思います。
しかしお子さんが5人もいらっしゃるので、養育費んついてはかなりの額になるのではないかと予想できますね。
以前、堂珍さんのお子さんが青山学院に入学されたと話題になったこともありましたが、幼稚園から大学までオール私立に通わせると教育費の合計がだいたい2000万円程度と言われています。
そうなると、お子さん5人分だと、教育費だけで総額1億円が必要になりますし、養育費は教育費だけではありませんので相当な額になりそうですね。
敦子さんもモデルとして活躍しながら、国分太一さんが司会する『いっぷく』のコーナー『いっぷくスタイル』で週替わりでナビゲーターを担当されています。
今後は子どものためにワーキングマザーとして頑張っていくのでしょうね!
ちなみに、堂珍夫妻にお子さんがたくさんいるのは敦子さんの希望だったそうです。
この離婚騒動について堂珍嘉邦さんの父親がインタビューを受けています。
同誌記者が広島に住む堂珍の父を直撃したところ、敦子は第5子を出産したばかりにもかかわらず、電話で堂珍の父に報告したものの、男か女かや名前は一切言わなかったという。堂珍の父は「敦子さんはちょっと性格がキツくて」とこぼし、「正直ホっとしています」と本音を打ち明けた。
それも家に居たくない理由や離婚の原因になったんでしょうかね。
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