今回は女優の山田五十鈴(やまだいすず)さんの娘の瑳峨三智子(さがみちこ)さんについてです。
5歳の時に別居し、そして離婚。
娘の親権は父親になりデビュー直前まで約10年間、会うことがなかった話など調べてみましたので早速どうぞ!
山田五十鈴は娘の瑳峨三智子について
画像出典:アメブロ
山田五十鈴さんの娘の瑳峨三智子のプロフィールはこちら↓
本名:山田美和子さん
生年月日:1935年3月1日生まれで、57歳の時に亡くなっている
出身地:京都府京都市
学歴:相模女子大学文学部中退し女優になる
娘の瑳峨三智子さんは結婚もしておらず孫もいません。
山田五十鈴さんは瑳峨三智子が生まれた1935年に俳優の月田一郎さんと結婚。
そして1940年に別居し、1942年には離婚しています。
その時、娘の瑳峨三智子さんは父親に引き取られ、以後女優としてデビューするまで母親と会うことがなかったようです。
2年の裁判で親権は父親になった
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母親の山田五十鈴さんは親権をめぐって裁判をするも、敗訴し、娘の瑳峨三智子さんは父親の元で育てられます。
離婚後、東京市世田谷区へ引っ越しますが、
1945年9月27日に父親の月田一郎さんがメチルアルコール中毒で急死したからは父方の祖父母のもとで育てられました。
娘の瑳峨三智子が10年ぶりの再会で「山田さん」と呼ぶ
娘の瑳峨三智子さんは5歳の時に別居し、7歳で母親の山田五十鈴さんと離れて以来、10年ぶりにデビュー直前に山田五十鈴さんの願いによって再会することができたのですが、
その時、瑳峨三智子さんは「お母さん」と呼ぶことなく、
「山田さん」と言ったそうです。
そのことで周囲は大変驚いたそうですが、瑳峨三智子さんなりに「山田さん」と呼んだ理由があったそうです。
「山田さん」と呼んだ理由
画像出典:映画ナタリー
娘の瑳峨三智子さんがなぜ母親のことを「山田さん」と呼んだのか。
それは娘曰く、
・公私混同を避けるため
・親の七光りとして見られることを嫌う意思表示
その理由を聞かなければ、離婚して子育てしてもらえなかった母親に対しての確執などと考えてしまうものですが、仕事に対してということで当時の周りにいるスタッフさんたちは驚いたそうです。
そして「山田さん」と言った娘に対して山田五十鈴さんも、
「女優という仕事は厳しいものです。華やかさに惹かれているなら大変な間違いです」
と諭したと聞きます。
それだけ大変な仕事だということでしょう。
そして1954年には『唐人お吉』で初の母子共演を果たし、その後も親子仲は悪くなかったそうです。
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