菊池桃子の子供で娘の学校は跡見学園?息子の学校は立教大学?

タレント

女優・タレントの菊池桃子さんのお子さんについて調べてみました!

 

菊池桃子さんについて

東京都品川区出身。
日出女子学園高等学校、戸板女子短期大学被服科美術コース卒業、
法政大学大学院政策創造研究科政策創造専攻修士課程修了(指導教授は諏訪康雄)、
修士(政策学)。

菊池の叔母が青山で飲食店を経営しており、
レジ横に家族や親族の写真を飾っていた。

たまたま来店していた音楽関係者がその中の一枚、
菊池が微笑んでいる写真に目を留め、
その場で菊池の名前や年齢、事務所に所属していないかなど身上を聞いたという。
叔母を介し、後日スカウトされる。芸能界入りに関して、
菊池の父は学校に行かせること・学業に支障が出ない
スケジュールであることを条件とし、本人の希望を優先に承諾した。

元来、大人しい性格の菊池が芸能界に興味を示したのは「見てみたいと思った」
程度の好奇心からなる軽い気持ちであり、芸能界に対して強い憧れや
目標とする芸能人が存在したわけではないという
(考古学者になることが長年の夢であった)。
デビュー以前、度重なるオーディションに
「自分には向いていない、辞めたい」と思ったと後年、述懐している。

別冊宝島の調査によると、1980年代の年間ベスト50位以内ランクイン曲数5曲と
当時の女性アイドル中7位であった。

【若いころの菊池桃子さん】

まさにアイドル!!
目が大きく可愛いですね!

 

結婚は?

1994年プロゴルファーの西川哲さんとの婚約を発表。
西川哲さんの画像がこちら!

しかし、入籍までにはトラブルが・・・

1995年 – 3月3日、西川側から結婚を無期延期する旨を伝達される
(西川と西川の父・西川幸男の確執が原因などの憶測)。
結婚延期を撤回して欲しいと菊池は西川の父に懇願したというが
「ひいては菊池の将来のためでもある」と受け入れて貰えなかった
(西川の父は菊池を大変気に入っていたという)。
その4日後、菊池は心労から体調を崩して吐血

十二指腸潰瘍穿孔の診断を受け、約4週間の入院治療を受けることになった。
倒れた菊池を案じた西川の父は二人の入籍は認め
(挙式は西川がゴルフで結果を出してから)、
菊池の快復を待って5月に日取りを決めた。
これらの出来事があって、西川は一念奮起して練習に身を入れるようになる)。
1995年7月、「日経カップ 中村寅吉メモリアル」で2年ぶり3度目の優勝を果たし、
晴れて挙式の条件がクリアとなった

親の反対を経て、1995年に無事に入籍
吐血して入院する程、体を壊すなんて、
よほど精神的に辛い状況だったんでしょうね。

こんな困難な状況を経て、結婚したお二人ですが、
2012年1月に離婚していたことが判明。
離婚理由は、西川さんの多額の不債と女性問題
ではないかと言われています。

 

子供は?何人?

菊池桃子さんには、2人のお子さんがいます。
1996年8月、長男誕生(年齢:21歳)
2001年10月、長女誕生(年齢:16歳)

長男の名前は、幸秀(ゆきひで)くん。
長女の名前は、小百合(さゆり)ちゃん。

お子さんの画像がこちら!

かわいいお子さんですね。

学校は?

息子さんは、立教大学付属高校に通っていたと言われていたそうなので、
現在は、立教大学へ進んでいるのではないでしょうか?
息子さんは、小学生の頃から【速読】が得意で
速読2段だそうです!

娘は病気?

長女 小百合さんに障がい(半身不随)があることを
菊池桃子さんは、公表されています。

小学6年生の彼女の長女(12才・当時)は、
都内の有名私立女子中学を受験。難関を突破し、
見事、志望校に合格したのだ。

1995年5月、プロゴルファーの西川哲(45才)と結婚した菊池。
1996年8月には待望の長男(17才)が誕生。一家は幸せの絶頂を迎えていた。

しかし、順風満帆な結婚生活を送っていた菊池に悲しい出来事が起こる。
1999年2月、彼女は第2子を流産してしまうのだ。
そんな悲劇を乗り越え誕生したのが長女だった。
だが、菊池への試練はさらに続く。

<2001年10月に生まれた長女が、
乳児期に脳梗塞を発症しました。
今はお陰様で成長の助けと、リハビリが功を奏し、独歩も可能ですが、
左の手足に麻痺(半身不全)が残っていることは否定できません>
ある女性誌のインタビューで、菊池自身がこう明かしているように、
長女は障がいの後遺症を抱えて生きていくことに。

そして2008年4月には、お受験を突破して有名人の子供が
数多く通う有名私立小学校への入学を果たした。しかし…、
「学校生活を送って行くなかで、支障をきたすことも多かったのか、
途中で肢体不自由児を対象とした特別支援学校へ転校することになりました」
(菊池の知人)
この母娘には新たな困難が待ち受けていた。菊池は自らのブログで、
私立中学校の受験資格には「心身ともに健全な者」と記載されていることが多く、
障がいを持つ長女は受験資格すら与えられない学校もある、と綴っている。

<今日も2つの女子中学校で受験を断られてしまいました。
試験の点数で不合格になるなら「もっと努力した人がいたんだよ」と、
フェアな感じがするのですが。受験会場に行く機会まで断られるのは
違う気がするのです(中略)娘は、自分の身体のことが、嫌いになったり、
諦めることばかり覚えたり。自己肯定ができなくて…辛そうなんだもの>
(2013年7月8日のブログ)

その努力が実り、冒頭で紹介した通り、見事に「サクラ咲く」の朗報が届いた。

「娘さんが合格した学校は歴史あるお嬢様学校で、校則も厳しく、
きちんとした教育が受けられるため、ここに入れたいと
熱心になる親御さんも少なくありません。

また制服もかわいいので、“あの制服が着たい”と志望する女の子も多いんですよ」
(受験塾関係者)

※女性セブン2014年3月6日号

噂では、長女が入学した学校は、
【学習院女子】や【跡見学園中学】ではないかと言われています。
有名校ですよね。

障害を公表した理由は、
「隠している事が娘さんに申し訳ないと思ったから」
ということです。

現在、母校・戸板女子短期大学の客員教授に就任し、
キャリア教育の講義を担当している菊池桃子さん。

2016年7月 には、 文部科学省 初等中等教育局 視学委員に就任しました。
教育の分野に力を入れ活動されています。

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