【子供は何人?】陳建一の息子で長男の陳健太郎の結婚した嫁の東あつこや子供。現在について

料理人
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テレビ番組「料理の鉄人」で人気になり、その後も中華の四川料理人といえば陳建一と言われるほどの人物。そんな陳建一さんの一人息子の陳健太郎さんの結婚した嫁の東あつこさんや2人に子供。つまり陳建一さんからすると孫がいるのか?そして現在についてみていきましょう。

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陳建一の息子・長男の陳健太郎について

陳健太郎
本名:東健太郎(あずまけんたろう)
生年月日:1979年生まれ。2023年09月30日現在の年齢は44歳。
学歴:玉川学園高等部→玉川大学(フランス語専攻)→四川大学へ留学
趣味:ゴルフ・映画鑑賞
職業:民権企業株式会社代表取締役(四川飯店経営会社)
結婚:2014年1月14日に結婚 妻の名前は東あつこさん

2002年:赤坂・四川飯店に入社し、父を師匠とし、父の助手経験があった菰田欣也(こもだきんや)の下で修行開始。父親のお店だからと言って特別扱いはなしでした。

雑用や洗い物を担当20人程の先輩の好みを覚えて飲み物を出したり、たくさんある香辛料、調味料の置き場所を細かく覚えたそうです。
当時印象に残っていることは「お前はなぜ、そこですみませんの一言が言えないんだ」だそうです。

2005年:2年半に渡り四川大学へ留学と同時に四川州生成都市にある「菜根香素食館」で修行し総料理長・曽国華に師事。

本場の味をマスターした上で日本人の口にも合う四川料理を開発している。

2015年に運営会社・民権企業の社長に就任。その後、料理教室やイベント、TV出演などもしている。

 

陳建一の息子・長男の陳健太郎の嫁の東あつこについて

陳建一の息子・長男の陳健太郎は2014年1月14日に結婚

嫁の名前は東あつこさんです。

嫁の東あつこさんの年齢や職業などについてはわかっていません。

愛犬のトイプードルが好きなかわいい奥さんです。

トイプードルの名前はふぁーちゃん(ファージャオ)というらしいです。

なるほど。中華飯店で絶対にある香辛料の名前ですね。

 

陳建一が息子・長男の陳健太郎に教えた大事なこと

偉大な父親・陳建一から息子に伝えたのは『料理は愛情』

「絶対に手を抜くな。愛のない料理を提供するなんてお客さんに失礼だ」

息子で長男の陳健太郎さんは今はなく父・陳建一に「これからも愛のある料理人を育てていきたい。それが自分の使命」だと誓いました。

 

陳建一の息子・長男の陳健太郎の遺産相続について

陳建一さんは有名人ですし、料理店のオーナーとしても敏腕でした。

そんな父親からの遺産が億越えで莫大ではないかと噂されていましたが、すでに陳健太郎さんはすでに四川飯店のオーナーですし、お店の経営権等は全て譲ってもらっているので他の遺産はなかったのではないかと言われています。

 

陳建一について

陳建一さん
本名:東建一(あずまけんいち)
生年月日:1956年1月5日生まれ。2023年3月11日(67歳没)
学歴:東京中華学校小学部→中学部→玉川学園高等部→玉川大学文学英米文学科
職業:中華料理人
結婚:玉川学園高等部の同級生と結婚(陳建一が食べる料理を作り天才を言われる存在)
バイト歴:江守徹の付き人を2ヶ月、アメリカンクラブのホール、蕎麦屋、うどん屋、父の店のホールで注文取りをしていた。

陳建一は食べることが好きで、各地の名物料理を食べる旅をする資金を貯めるためにお金を稼いでいたそうで、今までいろいろ食べ歩いたけど、一番印象的なのは、石川県・和倉温泉の「加賀屋」で食べた5000円のカニのフルコースだったそうです。

当時の陳建一さんにとって大金で、それに料理もおいしく、食事だけでなく、宿の細やかなおもてなしに感動しきりで、陳建一は生前に「加賀屋」と聞くだけでワクワクしていたそうです。

そして食べ歩きなどをした後、1978年に四川飯店で働きます。

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父親の陳建民は陳建一に甘く、いきなり「調理場を担当しろ」と言われた。
・オーナーである父に料理長が言われたら断れなくて困っていたと思い、「先輩達と同じように皿洗いからやらせて欲しい」と父に頼んだ。
将来オーナーになるなら、全ての仕事を体験していないとダメ、下働きをしていない人間が人を育てられますか?優遇された結果、その後苦労するのが目に見えると思ったそうです。

実は父から料理を教わったことはないんです。父や先輩達の姿を見て、味を覚え、見様見真似で腕を磨きました。

それに母の影響も強いです。母は「環境に甘えちゃいけない」「裸の王様になったら終わりだ」「人間はどんな時も質素に生きなくてはいけないよ」と言っていました。ただ、言っていることとやっていることは違っていて(苦笑)。自宅の下駄箱の中には高級ブランドの母の靴がズラリと並んでいました。まるでイメルダ夫人みたいでしたね。

妻は高校の同級生で結婚後、23歳で父親になりました。家族旅行をするのが夢で、29歳の時に念願が叶って、初めて家族で伊豆(静岡県)の下田へ行きました。嬉しかったなあ。

その後も、子供が大きくなるまで年一度の家族旅行は続き、国内だけでなく、サイパン、グアム、ハワイ……といろいろなところへ行きましたね。

早く仕事を覚えて一人前になりたいと思っていた34歳の時に父が他界、2代目オーナーシェフになりました。

まだ修業中の身、店には優秀な先輩がたくさんおり、上に立ち、まとめるのが精神的にキツくて苦労しました。結果として、料理店は調理人の腕前以前に、質のいい人間で構成することが一番大切だと学びましたが、その目を養うまでには時間が必要でした。加えて当時は「父と比べられたらひとたまりもない」というコンプレックスもあり、鬱病を患った時期もありました。

そんな僕を救ってくれたのは、「お父さんの真似をするんじゃなくて、自分の料理のファンを増やすようにすればいいじゃない」という妻の一言だったんです。「そうだよね」って思った途端にスカーンと目の前が広がりました。その言葉がきっかけとなり、回復できたんです。

いい妻と出会えて陳建一さんは幸せだったでしょうね。

陳建民、陳建一、そして息子の陳健太郎と連綿と続く女運がとても強く、幸せに結婚と事業が飛躍していますね。

 

陳建一の父親・陳建民と母親について

父親の陳建民は四川省出身で香港などで料理人をしていたが1952年に来日し、日本で遊んでるうちにお金がなくなる、レストランでバイトを始めたそうです。
そのバイト先でウエイトレスとして働いていたのが陳建一の母親だった。

父親は日本語を喋れない、母親は中国語を話せない。おまけに父親は3回の離婚歴があり、中国に子供が3人いた状態。それなのになんで母親は父と結婚したんだ?ということを聞きたら・・・
「料理がおいしくて、この味を日本に広めたいと思った」と言っていた。

その後母はプロデューサーとして父を支え四川反転を創業した。

また教育に関しても良い両親で父は朗らかな人で、母は大らかな人、異母兄弟が中国から来た時も我が子のように受け入れていたそうです。

ちなみに陳建一が初めて作った料理は意外にも『グラタン』

子供時代のことで鮮明に覚えているのは、母が毎晩、眠る前の僕の耳元で「あなたは大きくなったらコックになるのよ」と3回囁いていたことですね。

当時、僕の遊び場は父の店の厨房だったので、抵抗はありませんでした。カンカン、ジュッ、シャーッて、音楽のような調理中の音は実に心地よかった。それに調理する父はかっこよかったし、食べさせてくれる料理もいつもおいしかった。

でも僕が最初に作ったのは中華料理ではなかった。グラタンなんです(笑)。台湾系の中華学校に通っていた小学校低学年くらいの時に、両親が銀座の不二家レストランへ連れて行ってくれて、そこで初めてマカロニグラタンを食べた。めちゃくちゃおいしくてね。あれは衝撃的だった。

そんなことがあったある日、テレビの料理番組でグラタンの作り方を紹介していて、食い入るようにして観ました。で、さっそく母に頼んで耐熱皿とオーブントースターを買ってもらって挑戦したんです。

近所の友達に振る舞ったら、みんな目を丸くして「おいしい、おいしい」って喜ぶわけ。その様子を見て「料理ってこんなに人を幸せにできるのか」と、感動しました。これが僕のコック魂のスイッチがオンになった瞬間でした。

親の教育と陳建一自身の幸福によって料理の鉄人での活躍やお客様を喜ばされるように生きてきたこと、尊敬します。

 

陳建一の病気と死因。糖尿病や肺がんの過去

・陳建一さんは47歳のときに肺がんを発症する(早期発見)
・糖尿病の持病があり、血糖値を整えないと手術ができなかったので慶應義塾大学病院に1ヶ月ほど入院
・入院中も神宮へ打ちっぱなしに行ったり、ラウンドも回れるほど元気だつた。

肺がんは手術をし治ったのですが、2023年3月11日に他界した陳建一さんの死因は間質性肺炎という肺がんの合併症で亡くなる方もいるようです。

間質性肺炎の原因
・陳建一はかなりのヘビースモーカーで1日2箱吸っていたそうです。
(喫煙も可能性の一つと言われている)

間質性肺炎の症状
・炎症により徐々に肺胞壁が厚くなり硬くなり、肺がうまく膨らまなくなるため、息苦しさを感じたり咳が出たりする。
・進行すると呼吸不全になる可能性もある
・発熱、呼吸困難、体重減少など。

2022年5月1日には実際、陳建一さんは病気になった後は以前と違い激痩せしておりましたが、2023年3月11日にこの世を去られました。

数多くの友人や料理ファンが悲しみましたが、陳建一を忘れないよう、息子の陳健太郎が今四川飯店を盛り上げているのでこれからの飛躍も期待ですね。

最後に、中国語の俗諺に「四川人は辛さを恐れず」という言葉があります。
ですが、子連れで食事に行きたいレストランにも選ばれたとこもありますので、安心して家族で食事できるレストランです。

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