萩本欽一さんといえば、いわゆる大御所タレント。
が、最近ではあまり見かけないような?
その裏にはある疑惑がありました。
また、家族にもいろいろとあるようで……。
息子は障害?
萩本欽一さんの長男に障害者疑惑があるそうです。
しかし、この説は完全なガセネタでした。
ではなんで、こんなネタが浮上してしまったのでしょうか?
息子に奇行でも?
いえ、実は、問題は萩本欽一さんにありました。
最近テレビでめっきり姿を現さなくなった萩本欽一さん。
ネット上でも萩本欽一は消えた、と言われていますね。
実はこれ、萩本欽一さんが障害者差別をしたのが原因だ、などと言われているのです。
障害者に対しての差別があまりに酷かったため、芸能界から干されたという説が強いとのこと。
これが事実であれば、いろんな意味で残念ですね。
もっとも、一番の被害者はとばっちりを食らった息子でしょうけど。
妻の澄子さんはストリッパー?
萩本欽一さんは、妻にもウワサが……。
萩本欽一さんの妻は、高峰みゆきさんという人。
本名は澄子さんというそうです。
彼女は、実家の問題で、18歳でストリッパーを始めたといいます。
笑い上戸の明るい性格だったようで、自分のストリップショーが終わると、舞台袖から、コントを楽しんでいたのだといいます。
特に萩本欽一さんを好きだったようです。
まだ売れていなかった萩本欽一さんを、淑子さんはいつも励ましていたとか。
萩本欽一さんが有名になると、身を引いたという淑子さんですが、結局、二人は結婚。
なんだか、映画のようないい話ですね。
弟や家族は創価学会?
で、このように、息子や嫁は特に問題なし、ということでいいかと思いますが、ここにきて、弟に創価学会疑惑!
次から次に来ますねえ。
この弟は、萩本悦久さんという人なんですが、とにかく経歴がすごすぎると話題なんです。
東京創価小学校開校と同時に教諭になり、創価中学校副校長、東京創価小学校校長を歴任。
さらに、創価教育センター副センター長、創価教育研究所所長といった要職も務めています。
1976年には、ソビエト文部省の招待を受け、10日間ソビエト教育交流へ行ったり、1986年には、東京都私学代表団のメンバーとして2週間、欧州4か国の教育事情を視察しています。
1995年には、韓国の大邱市の慶煕高校との教育交流に参加。
これは単なる創価学会員ではなく、立派な幹部ですね。
・まとめ
萩本欽一さんもいろいろ大変な人だったんですね。
まあ、あそこまで大御所になるには多少は苦労もするでしょう。
しかし、これはちょっと苦労させられ過ぎでは?と思いますね。
更なるご活躍をお祈りしたいところですね。