歌手 加藤登紀子さんの家族について調べてみました!
周囲から反対された結婚だった!?
歌手の娘さんについてもご紹介します!!
加藤登紀子さんの夫は?馴れ初めは?
加藤登紀子さんの夫の名前は、藤本敏夫さん。
画像がこちら!
藤本さんは、兵庫県西宮市生まれで1963年に同志社大学に入学。
学生運動に参加していました。
そして、1972年に学生運動関連で逮捕。
中野刑務所に収監されます。
その収監の翌月、5月6日に加藤登紀子さんと藤本さんは【獄中結婚】!!
周囲からの反対も多かったとか。
歌手として成功している加藤さんが獄中結婚するのは心配になるのも分かる気がします・・・。
結婚の際の加藤さんの父親は・・・
結婚するとき、父(幸四郎さん)が私に言ったんですよ。
「オレみたいな男と結婚したお母ちゃん(淑子=としこさん)はえらい苦労しよった。お前も同じ道、歩むんやな」って。そういえば、思いや侠気(おとこぎ)は父と似ていたのかも。
結婚の際の事務所社長とのエピソード
所属事務所の石井好子社長(シャンソン歌手)に伝えると、結婚も出産も賛成してくれました。石井さんは、「仕事はもうしなくてもいい。でもね、歌手を辞めるかどうかは、あなたの心の中にしまっておきなさい」って。
「知床旅情」でレコード大賞歌唱賞を取った翌年だったから、既に仕事はいっぱい入っていたと思う。後で聞いたら、石井さんは周りから「何であんな結婚を認めたんだ」としかられたそうです。
石井さんの決断には本当に感謝しています。
心配や反対のあった結婚でしたが、結婚後にも色々あったようです。
その一つが、夫である藤本さんの選挙出馬。
ずっと、選挙に出るなら離婚するわよ、って言ってたんです。
でも彼は「男が一度決めたことを翻すわけにいかない。離婚も仕方がない」って退かない。今度は私が慌てる番。何で選挙ぐらいで離婚しなくちゃいけないのか。
“女には二言があるのよ”(苦笑)。だけど、選挙運動を手伝うわけにはいかなかった。
ちょうど宮崎駿(はやお)監督の映画「紅の豚」(登紀子さんはヒロインの声優を務め、主題歌も歌った)が公開される時期。
特定の候補者に“肩入れ”すると、テレビのキャンペーンなどには出られなくなってしまうのです。だから、歌手として表のメディアには出られないけど、妻としては応援します、ってね。〈結局、藤本さんは落選。開票日当日、夜遅く帰宅した藤本さんは、全員で出迎えた家族に対し、選挙の話は一切しなかった〉
テレ隠しなのか、おい、テレビをつけろ、阪神-巨人戦はどうなったんだって(苦笑)。いつも“変化球”なんですよ、彼は…。
夫の行動に動じず、冷静に対処した加藤さん。
付き合っていた頃から、藤本さんの思いつきには慣れていたのかもしれません。
子供は?
加藤登紀子さんは、獄中結婚をした1972年12月に長女を出産!!
子供の名前は、美亜子さんです。
名前の由来は「美しい亜細亜の子」という意味があるそうです!
さらに、1975年12月には、次女の八恵さんが誕生!
後に、三女が産まれているので加藤登紀子さんは、3姉妹の母親ということになります。
次女の八恵さんは、芸名<yae>として歌手活動をされています!
yaeさんの画像がこちら!
ポーランドのホロコーストを描いた音楽劇「コルチャック先生」の歌手役に抜擢され、役者として生まれて初めて舞台に立つこととなる。
新人らしからぬ堂々とした演技と、表現力の豊かさ、伸びやかで高く澄んだ歌声が絶賛され、高い評価を得る。これをきっかけに、本格的に「歌うたい」を目指し始める。
ステージの上で表現することの素晴らしさを知ったYaeはとにかく人の前に出て唄いたいと感じ、新宿の歌舞伎町にあるレストランや、小さい居酒屋などあらゆるところで歌い始める。
当時まだミュージシャンとの接点もなく、たった一人ではじまった音楽活動は、時間を追うごとにいつしかバンドになり、そのジャンルもワールドミュージック、POPS等々広がっていった。この頃から作詞、作曲も手掛けはじめる。
親子でコラボしたことも!
yaeさんは、2児のママ。
千葉にある「鴨川自然王国」で農業も行いながらスローライフを送っているそうです。
夫死因は?
反対をされても結婚し、2人の子供にも恵まれていた加藤さんと藤本さんですが、2002年7月31日に藤本さんが亡くなられました。
死因は【肺炎】
藤本さんは、肝臓ガンを患っていたそうです。
〈平成14年、がんを再発した藤本さんは58歳の若さで亡くなる。
最期は「もういいだろう」って自ら酸素マスクを外したという〉
死去後、藤本さんを偲ぶ会も行われています。
多くの方が集まり、故人を偲びました。
現在は?
加藤登紀子さんは、2017年1月に母親を101歳で亡くしています。
加藤さんが、介護をされていたそうです。
しかし、、、
2017年1月2日、母・淑子(としこ)さんが老衰のため、101歳で亡くなった。加藤が昨年末のほろ酔いコンサート最終公演を終えるのを待つようにして穏やかに旅立ったという。
「一番危ない状況でなんとか持ちこたえてくれた。(今年は)そんなことを思い出しながら歌う事になる」。天国の母に捧げる曲は「あなたの行く朝」だ。
「母の亡くなった時のことを思い出す歌。亡くなったのは真夜中だったんですけど、それから朝まで感じていたこと、すごく温かかった朝を忘れたくない気持ちをこの歌に込めたい」と誓った。
母親に対する加藤登紀子さんのコメントが温かく、素敵な親子関係であった事が言葉から感じられます。
夫・母親を亡くした加藤さんですが、前向きで明るいのは、【歌】があるからでしょうか。
歌声に励まされているファンが多くいるので、いつまでもその歌声を届けてほしいですね!