今回は、柏木由紀子さんについて、ご紹介したいと思います。
目次
柏木由紀子の娘は女優?
娘2人は美人だと話題です。
娘は2人!長女は歌手で次女が元宝塚女優
柏木由紀子さんは坂本九さんとの間に2人の子供を儲けています!
長女の大島花子さんは歌手で次女の舞坂ゆき子さんは
元宝塚女優と姉妹揃って芸能界デビューしています!
左が長女の大島花子さんで、中央がお母さんの柏木由紀子さん、
右が歌手で次女の舞坂ゆき子さんです。
仲が良さそうで品のある美人親子ですね!
柏木由紀子さんが若くて美人過ぎるので、思わず「3姉妹なのかな?」と思ってしまいました。
お姉様の大島花子さんはお父様である坂本九さんの面影がありますね。
それにしても3人ともスタイル抜群で羨ましいです!!
温かい両親の愛情が娘たちを癒していた!
日航機墜落事故当時、小学校3年生と6年生だった娘たち。
彼女たちの中にも、父親を失った経験は、常にトラウマとして生き続けていました。スポンサードリンク
事故のトラウマがあったにも関わらず、
母を囲む姉妹の現在はとても朗らかで幸せいっぱいです!
きっと柏木由紀子さんが2人を強く、そして温かく見守ったからではないでしょうか!!
柏木由紀子は、2人の娘と家族ユニット「ママエセフィーユ」を結成して、
坂本九の曲を伝えるコンサートを続けています。
坂本九さんの「上を向いて歩こう」は、今でも若い人の間で知らない人がいないくらい、
有名な名曲として引き継がれています。
その影には3人の努力、家族ユニット「ママエセフィーユ」の影響が必ずあるはずです。
天国でお父様の坂本九さんはそんな3人の姿を見て、
きっと「ありがとう」と言いながら微笑んでいらっしゃることでしょう。
一方で、柏木由紀子にプレゼントされた愛犬に、
父親を亡くした悲しみを癒された舞坂ゆき子は、
「人と動物の絆」をテーマにした活動も。
次女の舞坂ゆき子さんは、愛犬を通してお父様を亡くした悲しみを癒されたそうです。
ペットの力って凄いんですよね!
大島花子が、「グリーフケア」として、
東日本大震災の被災者に寄り添った活動をするのも、
両親から受け継いだ心です。
長女の大島花子さんは、子どもだけではなく、配偶者・親・友人など大切な人を亡くして、
大きな悲嘆(グリーフ)に襲われている人をサポートする活動を続けられています。
突然親を亡くす悲しみは、一生拭い切れないものであり、
一生取り返しのつかない、過去には戻れない、大きなグリーフがあるものです。
素晴らしいご両親から受け継いだDNAは、今や日本の力となっているようですね。
実家は豪邸で現在の自宅や収入は?
ご実家はどんな所だったのでしょうか?
柏木由紀子さんはお嬢様だった!
柏木由紀子さんは、本名は大島由紀子さんといいます。
3人姉妹の三女として生まれた柏木さんは、性格的にも「引っ込み思案」で、
母親のススメで児童合唱団に入団されたのだそうです。劇団若草に入団したのは、小学校5年生のときでした。
劇団若草は現在も存在する劇団で、
過去には坂上忍さんや桃井かおりさんなども入団していたそうです。
常に美しいのに、前に出過ぎずどこか控え目で、とってもエレガントな柏木由紀子さん。
そんな彼女のバックボーンは、ご実家から引き継いだものなのでしょう。
歌の印税はごくわずかだった
プロポーズの言葉としては「俺についてくれば、幸せに必ずなれる!」
ということをいわれたみたいです。
しかし、その最愛の人も1985年には日航機墜落事故で帰らぬ人となっています。
1985年に旦那様を亡くしたのであれば、今年で32年の月日が過ぎたことになります。
その間、再婚もせずに、女優として、母として働き続けた柏木由紀子さん。
坂本九さんの歌の印税はごくわずかで、収入のほとんどは柏木由紀子さん自身が稼いでいたと言われています。
優雅な暮らしの中にも、苦労があったはずですよね。
豪邸なのは坂本九さんが建てた家のことだった!
柏木さんは、坂本九さんと生活していた豪邸に現在も住んでいます。
住まいは東京都内にあるようですが、具体的にはあまりよく知られていません。豪邸は、田村正和さんなどの有名人の家を何件か建てている、
島田工業という建設会社です。
ときどき、自宅を修繕して使っているみたいですね。
豪邸は維持するのが大変です。土地が広ければ、固定資産税もその分高いはずですし、
10年過ぎれば、屋根・外壁など修繕が必要になって来ます。
数年前には自宅を修理したことを爆報THEフライデーで
話していましたね♪
マスコミでは今でも資産がたくさんあるような風潮で書かれていますが、
実際はそれ程でもなく、修繕は家を維持する為、坂本九さんとの思いでの家を守る為に、
行っている可能性もあるようです。
なんて優しそうなおばあちゃんなんでしょうか!!
坂本九が柏木由紀子に残したもの
その日の朝、「友人に会いに行く」といって家を出た坂本九は、やはり笑顔。
だからこそ、柏木由紀子が遺体安置所で受けた衝撃は大きく、
「なぜ夫だけ、1人で苦しんで死なせてしまったのか」と、
自責の念に駆られるようになったといいます。
柏木由紀子は、その時に目にした惨状を、娘たちに話すことはありませんでした。
彼女の胸に30年以上も押し込められた悲しみは、
「再婚は?」と軽々しく口にできないほど、誰の想像も及ばないものだったのです。
上を向いて歩こう、涙がこぼれないように……。
亡き夫・坂本九の名曲は、悲しいかな、柏木由紀子の運命を知っていたかのようでもあります。
大好きだった旦那様が残した言葉「上を向いて歩こう」、
この言葉がきっと柏木由紀子さんの支えになったのではないでしょうか。