元プロ野球選手 八木裕さんについて調べてみました!
八木裕さんとは
玉野市立胸上小学校、東児中学校から岡山県立岡山東商業高等学校へ入学。
2年生の頃から4番を打ち、1982年、2年生の夏の全国高等学校野球選手権岡山大会では
準決勝で川相昌弘(元巨人-中日)や後に
チームメイト(同年齢同学年だがプロ野球では先輩)
となる横谷総一(現阪神球団フロント)のいた岡山南を破ったが、決勝で関西に敗れ、
翌年の3年生の夏は初戦で倉敷商に敗れて甲子園出場はできなかった。高校卒業後、三菱自動車水島を経て、1986年ドラフト3位で阪神に入団する。
1988年は1A・フレズノ・サンズに野球留学した。 主に守備力と走力を評価されて
プロ入りした選手だったが、打力で売り出し、1989年6月ごろからレギュラーに定着。
掛布二世とも呼ばれ、1990年に28本塁打、1991年に22本塁打、
チームが優勝争いをしていた1992年に21本塁打を記録するなど長距離砲として活躍した。
現役時代は「代打の神様」という称号がついていたそうです。
俊足・強肩・強打の三拍子を兼ね備えた、内外野複数ポジションを守れる
すごい選手だったとか。
現役後は・・・
2005年から2008年まで、毎日放送の野球解説者や、
サンケイスポーツ専属の野球評論家として活動していた。
MBSラジオでは、通年放送の冠番組『いざゆけ八木裕!』のパーソナリティを担当。
阪神とロッテが対戦した2005年の日本シリーズでは、
直前予想で「ロッテ4連勝」と明言したところ、的中に至った。
また、マスターズリーグでは、2005-2006シーズンから
大阪ロマンズの選手として参加している。2009年から、二軍打撃コーチとして阪神へ復帰。
2012年のみ二軍の育成チーフコーチを兼務したが、2015年限りで退任した。
2016年からは、毎日放送で野球解説者、
サンケイスポーツで野球評論家としての活動を再開している。
2016年度のナイターオフ期間には、
『with Tigers MBSベースボールパーク みんなでホームイン!』(MBSラジオ)の
木曜日にレギュラーで出演。自身がメインで進行する。
「選手を診察 八木クリニック」というコーナーでは、
「『八木クリニックの院長』として「阪神の(コーチ時代に指導した)
若手選手に架空の薬名で処方箋を出す」という設定での解説によって、
リスナーから高い人気を得ている。
【八木裕さんがレギュラーを務めるラジオ】
ラジオだけでなく、八木裕さんのバスツアーも開催され、
今もなお人気があります。
サンケイスポーツでは阪神OBで本紙専属評論家の八木裕氏と一緒にいく
「掛布阪神応援!! 代打の神様八木裕氏と行く阪神ファーム岡山・倉敷バスツアー」
を開催します。8月10日に岡山・倉敷マスカット球場で開催されるウエスタン・リーグ、
阪神-広島(午後6時開始)を観戦します。試合前の練習見学会、
八木氏による若虎解説、星野仙一記念館見学、倉敷美観地区散策、
お楽しみ抽選会などがセットになった1泊2日のドリームプランです。
2017年8月10日に開催。
プロ野球選手を引退後も活躍されているんですね!
息子も野球しているの?
名前は、八木亮介さん。
画像がこちら!
高校:関西学院
大学:関西学院大学
八木裕さんの息子さんは、子供の頃から野球をしていました。
父親と同じ野球の道に進んだんですね。
年齢は、今年(2017年)で23歳になります。
高校時代から注目の選手でした!
【八木亮介さんが高校2年当時の記事】
関西学院は6回、1番の八木亮介(2年)が打席に入った。
2死一、二塁。外角の直球を左中間にはじき返し、逆転に成功した。
この日は5打数4安打3打点の大活躍を見せた。「目標の選手はお父さんです」。プロ野球の阪神で「代打の神様」として
活躍した八木裕さんの長男だ。小4の時に野球を始め、父の助言で左打ちに変えた。
少年時代は週に3回ほど父とバッティングセンターに通い、打撃指導を受けた。
阪神の2軍コーチで忙しい父と顔を合わせることは少ない。
試合前も特に声をかけられなかった。
でも、「2年ぶりの甲子園を目指す。将来はプロ野球選手になって、
すべてにおいてお父さんを超えたい」と意気込む。
大学時代も野球を続けていましたが、その後、プロ野球選手になった等の
情報は残念ながらありませんでした。
娘さんもいるって本当?
娘さんについての情報はありませんでした。
また、もう一人、息子さんがいるという情報もありましたが、
こちらも情報がありませんでしたが、八木亮介さんよりも下の
弟さんであるという情報はありました。
嫁はどんな人?
八木裕さんの奥さまについての情報もありませんでした。
あまりプライベートについて、公表されていることはないようですね。