山田五十鈴の娘の瑳峨三智子との確執や遺産がヤバイ?

今回は、山田五十鈴さんについて、ご紹介したいと思います。
娘・嵯峨三智子との確執、彼女が残した遺産…女優で初めて文化勲章を受章した話、昭和の大スターはやはり話題が尽きないようです。

 

山田五十鈴の娘の瑳峨三智子との確執

女優としてのオーラが素晴らしい山田五十鈴さん。
レンズを向けるとまるでバラの香りが漂ってくるような素敵な女優のお1人です。

山田が瑳峨を生んだのは18歳

戦前戦後、そして平成を通して映画、舞台で活躍した大女優、山田五十鈴(享年95)。
日本を代表する女優は私生活も波瀾万丈。
とりわけ、一人娘の瑳峨三智子との確執はたびたび芸能マスコミを賑わせた。

山田が瑳峨を生んだのは18歳。夫は往年の二枚目スター、月田一郎。
1935年に出演した映画「お六櫛(ろくぐし)」で共演したのがきっかけで恋に落ちた。
男っぽい男より、インテリでひ弱そうなタイプが好みだった山田は、映画、舞台関係者と数々の異性関係を彩り、月田ともまもなくして離婚。
瑳峨は、自分を捨てた母を恨んでいた。

あまりにも美しかった山田五十鈴さんは、たった18歳で往年の二枚目スター月田一郎に見初められてしまいます。

↑の画像の方が月田一郎さんです。どこかハーフぽっさがあって、めちゃくちゃ男前な方ですよね。

しばらく結婚生活を続けていた山田五十鈴さんでしたが、舞台関係者と数々の異性関係を持ったことが原因で、離婚することになってしまいます。
この時、18歳で産んだ娘を手放した山田五十鈴さん。
そのことを娘の嵯峨三智子さんは生涯根に持つことになるのです。

スポンサードリンク

母を「山田さん」よ呼ぶ娘

 瑳峨は1953年、18歳で東映に入社。
「旗本退屈男 八百八町罷り通る」でデビューする。
ここで初めて母と十数年ぶりに対面した瑳峨は「山田さん」と呼び、「お母さん」と呼ぶことはなかった。

奇しくも、母が自分を産んだ歳に女優デビューを果たした嵯峨三智子さん。
十数年ぶりに母と再会した時に「山田さん」と呼んだ話は今や伝説になっているそうです。

嵯峨三智子さんが本当に母のことを大っ嫌いだったとすれば、母と同じ現場を選ばなかったのではないでしょうか…。
やはりどこかで母に会いたいという気持ちがあったのでは?と推測してしまいます。

男関係で地に落ちた娘嵯峨三智子

押しも押されもしない大女優となっていた山田。
しかし娘の瑳峨も演技は決して下手ではない。
母譲りの妖艶な色気と演技力。下膨れの顔で色っぽさのある女優だった。
そして派手な男性関係も、母譲りだった。

男関係さえしっかりしていれば、母譲りの演技の上手さと、艶のある容姿で映画界を登り詰めたであろう嵯峨三智子さん。
結局は男関係のもつれで女優という仕事を辞めてしまうことになるのです。

仲代達也と並ぶ有望株として期待されていた俳優、森美樹との恋愛関係は有名。しかし森はガス中毒のため26歳で世を去り、瑳峨の転落の人生が始まった。
酒に溺れ、薬に手を出し、遅刻、すっぽかしを繰り返し、岡田眞澄との婚約解消…。
ふしだらな生活から芸能界に居場所がなくなり、ついには「山田五十鈴を継ぎたい」と無理難題を話し、山田からも見放された。

スポンサードリンク

彼氏だった男がガス自殺をしてしまった嵯峨三智子さん。
その悲しみから立ち直ることは容易ではなく、酒に溺れ、薬に手を出し、遅刻、すっぽかしを繰り返し…、
最後は芸能界から追放されてしまいます。
母の力があっても、助けることは容易ではなかったようですね。

母より先に旅立った娘

瑳峨はその後、岡山市内でホステスとなり、晩年はクラブのママにおさまったが、92年8月19日、滞在先のタイ・バンコクでくも膜下出血のため57歳で先立つ。
晩年は、大女優への畏怖からか、山田のことを「あの鬼ババ」と呼んでいたという。

嵯峨三智子さんは最後、タイで息を引き取るその日まで、母・山田五十鈴さんを恨んでいたようです。

それでも続いた母の愛

五十鈴さんより先に亡くなり、生前は確執が伝えられた一人娘、瑳峨三智子さんの話になると、「娘には違う道を選んで欲しかった。そうすれば、あの子、早死にしなかった」と言い、ぬいぐるみをギュッと抱き締めた。

母である山田五十鈴さんは、往年、我が子のことを想っていたと言われています。
きっと今頃天国で2人は仲良くしているのかもしれませんね。

遺産がヤバイ?

葬儀には天皇陛下からの香典が届いた山田五十鈴さん。
身寄りはいなかった彼女ですが歴史に残る生涯を駆け抜けた人生でした。

娘と一緒に入る墓を作っていた山田五十鈴

「鬼ババ」と呼ばれた母だが、娘のことを忘れていなかった。
演劇コラムニストの石井啓夫が99年春、“山田五十鈴さんとちゃんこ鍋を囲む会”での様子を明かす。
「興が進んで芸談や役者話になり、ベルさんは『女優は結婚したら、やはりダメね』とぽつりと言った。
瑳峨との長年の確執がよぎったのか、おちょこを口に運ぶ表情がふとかげったように見えた。
が、すぐさま、『ちゃんこ鍋というのはね、親(ちゃん)が子(こ)に食べさせるからちゃんこって言うのよ』と教えてくれた。

ふとした会話の中に、娘・嵯峨三智子さんの影を残していた山田五十鈴さん。
歳をとってからは手放したことを時折後悔していたのかもしれません。

2000年、女優で初めて文化勲章を受章した山田。
祝いの会で「父(山田九州男)も娘も俳優でしたから、泉下で喜んでくれているものと思います」と語った。

身よりのなかった山田は、京都に瑳峨と一緒に入る墓を作っていたという。

2000年、山田五十鈴さんは女優で初めて文化勲章を受章するという、大変名誉なことを成し遂げます。
身よりのなかった山田は、京都に瑳峨と一緒に入る墓を作ったんだそう。
親子はこの世を去って初めて一緒にいることができたようです。

遺産があっても残す相手がいなかった山田五十鈴

大女優の山田五十鈴さんが旅立った。

1999年、82歳の五十鈴さんに会うため向かったのは東京・日比谷の帝国ホテルだった。
「定宿…いや今や自宅と一緒よ。便利なの」

生前、葬儀のために、費用を付き人さんに託し、「香典も花も受け取らず、華美にしないでほしい」と託していたとは、格好良すぎます。

山田五十鈴さんが最後に暮らした場所は東京・日比谷の帝国ホテルでした。
ホテル暮らしが出来たとなれば、それなりに資産があったはずですが、遺産を残す相手がいなかった山田五十鈴さんは、生前全てのお金を付き人に託していたようです。

スポンサードリンク

スポンサードリンク



Be the first to comment

Leave a Reply

Your email address will not be published.


*


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)