平幹二朗の息子の平岳大は双子なの?結婚して嫁がいる?

俳優 平幹二朗の息子は双子!?平岳大さんについて調べてみました!

 

平幹二朗さんとは

現在の広島県広島市中区小網町(こあみちょう)出身。
生後9ヵ月の時に父・文雄が病死。
家の造りは京都の町家のように間口は狭いが奥行きのある二階家で、
一階が十畳、八畳が二間、中庭、それが土間に面して奥に続いて、
二階は八畳二間と物干しだった。そこに祖母と母と幹二朗の三人で住んでいた。

小学6年生の初め、幹二朗は広島県東部の甲奴郡上下町(現・府中市)の
母方の大叔父宅に疎開する。母は流川町の郵便局で
働くようになっていたので広島に残った。
郵便局は原爆ドームから800mほどの距離で、
1945年8月6日、原爆投下の朝、通勤途中だった母は
ビルの陰で靴を履き直していたため光線を受けなかったので生き残った。
終戦後まもなく母は上下町の家で危篤状態になり、
子供のない農家の大叔父に「うちの子になるか」と言われたが、
幹二朗は「農家の子供になるのはイヤだなぁ」と思ったという。

内気な少年だった幹二朗が演劇にかかわるのは、上下高校の時だった。

「映画監督になりたい」という漠然とした夢は持っていたが、
それには大学に行って会社に入らないといけない。
しかし理数系が苦手だった。

困っている時俳優座養成所の募集記事を読んだ。
そこが3年間の俳優教育をする学校だった。
しかし養成所の試験に落ちた。
翌年には合格、俳優座養成所五期生となった。
同期に木村俊恵・今井和子・藤田敏八・ジェームス三木ら。
1956年俳優座座員となり、同年『貸間探し』で初舞台。
以後、『千鳥』『四谷怪談』『ファウスト』などに出演。
端整な容姿と、スケールの大きさを感じさせる演技で注目され、
仲代達矢とともに同座の若手ホープと目される。

まさに現代における「好きなことで生きていく」ですね。

結婚は?

1968年、女優 佐久間良子さんと結婚
36歳の時だったそうです。

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1984年5月、二人は離婚

当時、離婚の原因は、平幹二朗さんの不倫と言われていました。
しかも、不倫相手は若手の男性劇団員!!
平さんの【同性愛】が話題に・・・・。
平さんと佐久間さんで行った離婚会見でも、
その事を否定しなかったとか。

子供は?

平幹二朗さんには、お子さんが2人います!
双子一男一女です。

お子さんの画像がこちら!

長男の名前は、岳大(たけひろ)さん
現在、俳優をされています。
平 岳大(ひら たけひろ)さんの現在の画像がこちら!

生年月日:1974年7月27日(年齢:43歳)
2016年7月12日、一般女性との結婚を発表されています。

暁星小学校、暁星中学校を経て、暁星高等学校在学中の
15歳のときに単身渡米。アメリカ合衆国ロードアイランド州プロビデンスの
モーゼス・ブラウン・スクール卒業後、
ブラウン大学理学部応用数学科へ進学し卒業。
ブラウン大学卒業後はコロンビア大学大学院修士課程へ進学したが
その後中退している。ブラウン大学の卒業式には佐久間と幹二朗を呼んだが、
佐久間がアメリカに来る前に幹二朗を呼んだことがばれてしまい、
佐久間は「私が育てたのに、いいところだけ持っていって」とムッとしていたという。

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役者になりたいと申し出たところ、佐久間は「絶対ダメ」と反対したが、
幹二朗は「相談乗るよ」という程度の感覚で話を聞いた末にOKを出した。

イケメンで頭脳明晰、悪いところが一つもない方みたいです。

岳大さんは、語学も堪能!!

平岳大は高学歴なだけではなく、非常に多才な人です。
英語は学歴から見れば、一目瞭然、話せないわけがありません。
さらに加えて、スペイン語も勉強していました。

NHK放送の「テレビでスペイン語」という番組も出演していた平岳大。
普段の会話程度であれば、スペイン語も使いこなせるレベルのようです。
また、平岳大はフラメンコも本格的にやっている様子。

Twitterでも先月「久し振りにフラメンコ」と呟いています。
平岳大のような二世俳優には、高学歴エリートのイメージがある人は
あまり多くないですが、平岳大は二世俳優という俳優の血筋でも
エリートであるばかりか、学歴においても完全無欠の
エリートであることに間違いはないようです。

母である佐久間良子さんは「岳大は、医者になる」と周りに言っていたそうです。
優秀な息子に期待していたからこそ、俳優への道を反対したのかもしれません。

【親子での写真】

長女(岳大さんの双子の妹)の名前は、朋子さんというそうです。
芸能活動はされていないようですね。

2016年10月22日、平幹二朗さんは急死
一人暮らしだった平さんを心配し自宅に訪れた
岳大さんが亡くなっている平幹二朗さんを発見したそうです。

端正な容姿と深みのある声、重厚な演技で
演劇界を牽引してきた名優が、急死していた。

北沢署によると、22日に所属事務所が平さんと
連絡が取れなかったことから、翌23日、近くに住む岳大が
世田谷区内の自宅を訪問。午後6時半ごろ、浴室の浴槽で
倒れているのを発見し、119番した。同署員が駆けつけたが、
すでに心肺停止状態だったという。平さんは一人暮らしだった。
死因は不明だが、同署は事件性はないとみている。

平さんは高校卒業後の1953年に俳優座養成所に入所し、
56年に俳優座入団。若手ホープとして注目を集め、
劇団四季の「ハムレット」で高く評価された。
63年のフジテレビ系ドラマ「三匹の侍」で人気を博し、
大河ドラマの「樅ノ木は残った」(70年)、
「国盗り物語」(73年)に主演するなど国民的人気を集めた。

離れて生活をしていた子供時代があっても、
芸能界入りを応援してくれていた父親の死は、とてもつらかったでしょうね。

息子である岳大さんも父親と同じように、
素敵な俳優として、活躍し続けて行くのではないでしょうか。

 

 

→ [関連記事] 平幹二朗の嫁と子供について①

 

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